松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区五十川2丁目 八幡宮(五十川八幡宮)


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おそらくはこれが一の鳥居です。

あいだに市道をはさんで二の鳥居があり、ここから、神社の境内らしくなってきます。石灯籠の数におどろきますが、これは地元のみなさんが奉納したものでしょうか?

五十川八幡宮

御祭神
 応神天皇
 神功皇后
 玉依姫命

縁起
 八幡神は欽明天皇三十ニ年(西暦五七一年)大分県宇佐の御許山に出現した宇佐八幡宮が根源である。
八幡神信仰は、天平時代(八世紀半頃)から国家安泰鎮護の神として発祥し、農耕の祖神として、また、鎌倉時代以降は武神として崇敬された。以後全国各地に勧請され土地の産土神として祀られるようになった。
当社御鎮座の起源由緒については定かでないが、その昔から五十川集落鎮守の氏神としてまた五穀豊穣・厄よけ開運・家内安全等大願成就の神として信仰の中心であった。
筑前続風土記拾遺によれば、御神器は古代の剣であり格式の高い神社として尊崇されて来たのであるが、不幸にも文化年間(西暦一八〇四年~一八一七年)火災に遭い御神器の古剣もまた焼失したとある。氏子として痛惜に堪えないところであった。丁度その頃、福岡城では城内の能楽堂の改築中であったので、その由緒ある旧建物を拝殿として特に拝領したものである。(境内東側の絵馬堂がそれである)
その後、永い歳月の経過で老朽がひどくなったので、昭和十年八月(西暦一九三五年)改築委員会が結成された。氏子をはじめ、五十川に縁ある人々が協力一致して再建に奔走した結果、多額の浄財等の寄進があった。こうして昭和十二年四月(西暦一九三七年)総工費六八一九円で神殿・拝殿及び参道が見事に完成し現在に至っている。
なお、境内の拝殿東脇に薬師如来の御堂、参道西側に石投地蔵尊の石佛があり村人に敬愛されて来た。

福岡城から払い下げをうけた旧能楽堂(現絵馬堂)です。

社殿は、縦長切妻の拝殿に渡殿、平入の本殿となっています。

社殿正面向かって左手の薬師如来堂です。

薬師如来

薬師堂は平安・鎌倉時代の仏教文化の中心地だった比叡山の根本中堂の御本尊瑠璃薬師如来の流布とともに薬師信仰(心身の病を取り除く浄瑠璃界の教祖)は、全国に広まり、各地の集落に薬師堂が建てられた。当薬師堂もその薬師如来様です。病気平癒祈願に博多その他の地区より毎月八日の薬師様の縁日には、多数の参拝者がありました。今でも五十川薬師様には地域の信仰を集め続けています。

(御真言)おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか

(御参拝者にお願い) 一 ロウソク・線香はご遠慮致します。

福岡県神社誌にある乙子神社とは、この社殿正面向かって右手に在るこの祠のことでしょうか。ほかに石祠やお宮らしきものがないため、おそらく間違いないとおもいますが……。

福岡県神社誌:中巻52頁
[社名(御祭神)]八幡宮(応神天皇、神功皇后、玉依姫命)
[社格]村社
[住所]筑紫郡曰佐村大字五十川字上屋敷
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]乙子神社(和加郎子命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.04訪問)