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このお稲荷さんは、寺から墓地に向かう石段の途中にあります。
天平13年(741年)に聖武天皇が国家の平安を祈って全国に建立した国分寺の一つで、元は長府の国分寺跡にありました。大内氏や毛利氏、長府毛利氏の庇護をうけてきましたが、明治維新後は次第に衰退していきました。現在の地である大隆寺の跡地に移転したのは明治23年(1890年)のことです。昭和20年(1945年)の空襲で本堂などの建物は焼失しましたが、共に重要文化財である寺宝の「絹本着色十二天曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくじゅうにてんまんだらず)」と「木造不動明王立像」は、奈良に疎開していたので無事でした。境内には、地蔵堂や不動堂の他に、油をかけて願を掛ける「油かけ大黒」や正一位稲荷神社などもあります。
国分寺がもともとあった場所は、現在の忌宮神社や長門国府があったとされる場所のちかくでした。乃木神社は以前訪問させていただいたことがありましたが、どうやらその入口付近に、国分寺跡の記念碑があるようです。いずれ再訪してみたいとおもいます。
(2022.07.24訪問)