松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市戸畑区中原東3丁目 中原八幡宮


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どことなく寺をおもわせる社殿です。

本殿保護のため覆屋がかけられているのですが、ガラス窓をはめ込んで真っ暗にならないよう配慮されています。ここにお祀りされている応神天皇や神功皇后の居住性に配慮したのでしょう。

中原八幡宮略記

御祭神
右殿(応神天皇、神功皇后、比売大神)
「応神天皇」誉田別命・第15代天皇
「神功皇后」応神天皇母君
「比売大神」市杵島比売命・多岐理比売命・多岐都比売命
左殿須賀大神(須佐之男命)
「須佐之男命」伊邪那岐・伊邪那美命の子、天照大神の弟

略記
神社の創立やその他沿革等は、安政年間の火災で焼失し、古老の口碑に存するところ、また「筑前国風土記拾遺」によれば、後鳥羽天皇建久5年に、遠賀郡花尾山城主、上の介重業遺後の麻生氏)の時、枝光村宮田山に「八幡大神」を崇敬、枝光・戸畑・中原の三村人の産土神「うぶすなかみ」として恭敬す。天正年中「1573年~1592年頃に花尾山の城主没落により、本社枝光村の八幡宮を、中原村古野に勧請する。「遠賀郡誌」にはこれらのこと以外に、寛文年中「1661年」社殿を建立中原村の産土神とあがめ、祭典その他の沿革を概記したる「棟札」を本殿に納めるたるも、安政二辰「1855年」10月25日の火災により焼失、今の本殿は安政6年「1859年」に再建される。本殿は二間社流造りという珍しい形式で、様式上安政6年再建のものと考えられる。

あまり大差ないのですが、福岡県神社誌の該当ページも転載しておきます。

花尾城 - Wikipedia

花尾城(はなおじょう)は、福岡県北九州市八幡西区にあった日本の城である。本丸は標高351メートルの花尾山山頂に位置する。

建久5年(1194年)、麻生氏の祖・宇都宮重業によって築城された。 

この麻生とは元総理大臣のあのひとの本家筋ですね。

案内板や福岡県神社誌にはさらりと書かれているので読んだだけでは距離感がわかりません。

地理院地図を加工してみるとわかりますが、とんでもない離れっぷりです。

もとは花尾城の北東側に鬼門封じに祀られた八幡宮(現在の枝光八幡神社)があり、主家没落後、各村で再度祀りなおした(分社した)もののひとつが、この中原八幡宮というわけです。

少なくとも江戸時代初期には、この地に分社が出来、それが現在の中原八幡宮となったと考えられます。

社殿正面向かって右脇に境内社があり、鳥居には「出雲社」「恵比須社」とあります。福岡県神社誌の記載では、貴船神と事代主を出雲の国から江戸時代に勧請したとあります。

おそらく出雲社は大国主を祀っているのでしょう。

社殿と「出雲社・恵比須社」のあいだにある鳥居と石祠をみてもだれかわからなかったのですが、近くに「貴船社」の扁額が落ちており、どうやらこれが高淤加美神を祀る貴船社のようです。

社殿正面向かって左側に淡島神社とお稲荷さんがあります。

なかなかかわいいキツネさんが神前で警備をされていたので、おもわずあちこち撫でまわしてしまいましたが、よくみたら鼻がいちど折れて、くっつけた跡があります。いたずらでしょうか?不謹慎な……。

訪問したのは2022年6月30日でしたので、夏越の茅の輪くぐりが準備されていました。
どうまわるか地面に書いて示したはずなんでしょうが、数字と輪っかを同じ位置に書いているため、なかなかみづらいものがあります。

福岡県神社誌:上巻183頁
[社名(御祭神)]八幡宮(神功皇后、比売大神、応神天皇、須佐之男命、高淤加美神、事代主神)
[社格]村社
[住所]戸畑市大字中原字古野
[由緒]略(一部は画像にて掲載)
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.30訪問)