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水主町集会所と一体となった天満宮です。水主町(かこまち)というと名古屋にも同じ地名があり、あちらは尾張藩の軍用船を管理する水夫の町でした。
水主町は唐津藩初代藩主の寺沢志摩守が内町・外町の城下町々割りをおこなった際に、常備水軍の拠点として整備され「水主衆」を居住させたのが始まりとされています。
寺沢家改易後は常備水軍の編成が解かれ、日雇い的な水夫「日高水主役」を藩領内漁村に負わせていったため町人(商工業者や人夫)の居住が増えていったとのことです。
こちらもおそらく水夫の町だったのだろうとおもいしらべてみると、やはり最初はそうだったようです。
(2022.06.12訪問)