美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

福岡市東区三苫6丁目 綿津見神社


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中臣烏賊津臣命が征韓に供奉し龍舟対馬府中をはなれ雷雨甚だしく風濤つよかりしに、命は海神に誓ひ苫を三枚とりて海底に沈め、其験にや風濤は穏かになりぬ。後に其苫のながれよる所に社を建つ、是れ此祠にして地名も亦三苫と名つくる

福岡県神社誌によれば、神功皇后の聖蹟であるだけでなく、中臣烏賊津臣命こと崇神天皇(中筒男尊)の聖蹟地でもあるようです。綿津見神社だから安曇磯良がメインなのだろうと考えていましたが、どうもそうとも言い切れないようです。

綿津見神社由緒

祭神 志賀三神 豊玉姫命
境内社
 竃門神社 須賀神社
 黒津神社 稲荷神社
 三寶大荒神社  若宮社
 虚空蔵菩薩  大日如来
鎮座由来 香椎宮旧記に神功皇后征韓御渡航の際対馬を発船された時俄に大雷雨大風涛起り御船危殆に瀕す。此時御船の笘三枚を海中に投入し何れの時何れの処にあれ此れ笘の流れ寄らん地に社を建て拝祭せんと海神に祈られし処立処に風涛治り征韓の大業を易く終え給い凱旋後笘の漂着せし地に三枚の笘を神体とし社を建て海神を拝祭された。此神社なり。又此の所縁により地名を三笘という。
古来香椎宮神輿渡御報賽の儀あり中古より神使の神祭となり現在に至る。

香椎宮宮司木下祝夫識 

現地の案内板では、中臣烏賊津臣命こと崇神天皇(中筒男尊)の姿は消されています。

境内社も多く存在します。社殿向かって左側にあるのは、竈門神社(宝満信仰)のようです。

一段高いところには仏堂があります。画像左側が虚空蔵菩薩堂で、右側が大日如来堂です。

正面向かって右側、お堂に近いほうは画像左が須賀神社、右が黒津神社です。

案内板などに近い場所には、三寶大荒神と若宮神社があります。

ここで帰ろうとすると、なにやら立派なお宮に扁額が祀られているのに気づきました。

「綿津見神は八大龍王を称」し、明治の神仏分離で綿津見神社という社号に復するとあります。うっかり読み飛ばしそうになりましたが、かなり重要な点であることに気づきました。

私をはじめ九州王朝説をとる論者のなかには、海神豊玉彦(豊前坊、豊国主、思兼命、ヤタガラス)と八大龍王が同一視されてきたとかんがえる者がいます。おそらくそれで間違いはないだろうと私もかんがえているのですが、現地案内板では綿津見神社は志賀三神(綿津見三神)を祀るとも書かれているのです(しかも香椎宮の宮司さんの文章です)。

海彦山彦の話にもどれば、まず塩土翁神(大幡主)の子が豊玉彦で、その娘で山幸彦(饒速日:にぎはやひ、猿田彦)の嫁になったのが豊玉姫です。彼らのあいだにできたのが鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)です。 

ウガヤフキアエズ - Wikipedia

これが通説にもとづく系譜ですが、実際のところはおそらくこうであったと、私は以下のとおり推定しています。

ここは、志賀三神(綿津見三神)を祀る神社ではなく、海神 豊玉彦を祀っているのかもしれません。

福岡県神社誌:上巻116頁
[社名(御祭神)]綿津見神社(綿津見神)
[社格]村社
[住所]糟屋郡和白村大字三苫字宮山
[由緒]往昔香椎宮神幸の所なり、神功皇后征韓の神助報賽の遺風なりしと云ふ。又曰中臣烏賊津臣命が征韓に供奉し龍舟対馬府中をはなれ雷雨甚だしく風濤つよかりしに、命は海神に誓ひ苫を三枚とりて海底に沈め、其験にや風濤は穏かになりぬ。後に其苫のながれよる所に社を建つ、是れ此祠にして地名も亦三苫と名つくるよし古老口碑に存す。明治五年十一月三日村社に被定。
[境内社(御祭神)]竃門神社(沖津彦神、沖津姫神)、黒津神社(武内宿禰)、須賀神社(須佐之男神)、稲荷神社(保食神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.03訪問)