松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市八幡西区山寺町 王子神社 大歳神社(一宮神社)


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一の鳥居脇の社号標は「一宮神社」となっていますが、一歩入ると鳥居の扁額は「王子宮」です。

一宮神社
由緒
この地方の氏神 王子神社 大嶽神社 諏訪神社の三社を昭和二十五年六月吉日に合祀し社号一宮神社と称します。
王子神社は神武天皇が日向の国より東征途上筑前のこのところにおいてになり、一年間政務をみられた宮居の地で境内には古代祭場等考古学的にも貴重な跡があります。
大歳神社は三代実録や続風土記にも表れている古くて且、由緒深い神社であります。
諏訪神社は花尾城主麻生氏が信州の諏訪神社を御手洗池のほとりに分祀し厚く祭られた神社であります。
祭神
天忍穂耳命 神武天皇(元王子神社)
大歳神 事代主命(元大嶽神社)
建御名方神 仲哀天皇 神功皇后 應神天皇(元諏訪神社)

1950年に付近の神社と再編統合したさい、この地域の「一宮」であるとして一宮神社を名乗ったようです。

「王子宮」ときくと、これが筑後地域なら高良玉垂命の九躰皇子を連想するところですが、ここでは天之忍穂耳を指します。高木大神(高皇産霊神)と卑弥呼(天照大神)の娘 萬幡豊秋津姫に阿蘇から婿入りしたのが天之忍穂耳で、義理でも「王子」にあたります。この地域は高見神社・鷹見神社といった社号のお宮もおおく、彦山の有力な支配地であったことがうかがえます。だからこそ、天之忍穂耳の孫である崇神天皇(中筒男尊)が、東征の拠点としたのです。

神社の御祭神には神武天皇とありますが、実際にここに祀られているのは九州王朝の祖であるカム「ヤマト」イワレヒコさんではないとかんがえます。

崇神天皇 - Wikipedia

また『日本書紀』における神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と崇神天皇の称号である『御肇國天皇』はどちらも「はつくにしらすすめらみこと」と読める。「初めて国を治めた天皇」と解釈するならば、初めて国を治めた天皇が二人存在することになる。

倭・倭人関連の中国文献 - Wikipedia

北宋時代に再編纂された『新唐書』においては、古の倭奴が、高句麗滅亡後、倭の悪名を嫌って日本と改名したとの理解に対して、「日本という小国を倭があわし(合併し)その号(日本の名)を冒(名のる)」し、日本と改めたと説明したが、疑いを持たれた、という記述がある。

王朝簒奪とも「背乗り」ともいえる状況を理解しておくと、各地の神社に残る伝承と記紀のズレが、理解できるようになります。

ここには、古代の祭場跡が残っています。おそらく、神社を再編整理したさい、ここが残ったのも、これが理由だと考えられます。

境内には、おそらく合祀された神社から持ち込まれたとおもわれる庚申塔や八大龍王、えびす様、疫神社もあります。

 
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参道につづく道を次の訪問地である岡田神社に向けて歩いていたところ大歳神社・諏訪神社の跡地に出ました。現在は御手洗公園という公園になっているようです。

福岡県神社誌:下巻392頁
[社名(御祭神)]王子神社(天忍穂耳命、神日本磐余彦命)
[社格]無格社
[住所]八幡市大字熊手字山寺
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.05.27訪問)

福岡県神社誌:下巻348頁
[社名(御祭神)]大歳神社(大歳神、事代主命、市杵島姫命)
[社格]無格社
[住所]八幡市大字熊手字行部田
[由緒]此社は三代実録に、筑前国に大歳神社云々。続風土記曰国中大歳神三社あり、其の一社は遠賀郡熊手村にて、人民年穀豊隆の事を祈る故、従前社田数十町の寄附ありと雖も、天正天文中没収せられ、或は又兵燹に罹り、其の後闔郡の献米ありしかど是亦無し。祭儀の存するは村民相集て垂穂の祭、蝗蟲駆除の神事を行ふ。
例祭陰暦二月十五日八月二十四日、是則村民祝賽の神事なるべし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.05.27訪問)