松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

佐賀県佐賀市巨勢町大字牛島 二木大明神


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二木(ふたつぎ)大明神 - さがの歴史・文化お宝帳

巨勢神社の記録に、立川一族が鎌倉から今泉村(牛島下)に来て勧請したものに小二接神(しょうふたつぎのかみ)があって、牛島の三関(構口公民館付近)にあったが、いつのころか射撃場北浦(桜団地付近)に移されたと書かれており、今(天保のころ)三関の南に小二接神の跡という広さ1坪、高さ3尺の土地があると記されている。いつ、ここに移ったか定かでないが、祠には二木と刻されており、この地を二次(ふたつぎ)と言います。二接神とは神様の御旅所のことだそうです。

神さまと言うより、頭をカチ割られた仏像のようにおもえます。

鎌倉から赴任してきたお侍さんが氏神として持ち込んできた神様が、お侍さんが去っても現地に残っているようです。

つながるさがし

≪「二木大明神」について~「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文≫
牛島上地区と大財6丁目(循誘校区)の境界付近に二木大明神の碑が立っています。巨勢神社の記録によると、鎌倉時代に立川阿波守らの一族が鎌倉から当地に来て(現在の田代公園付近に)館を造り、鎌倉の地名にちなみ今泉村と号した、とされています。神様の御旅所である小二接神(しょうふたつぎのかみ)を勧請し、牛島の三関(現在の構口公民館付近)にあったが、いつの頃か「射撃場北浦に移された」と記されています。いつ頃この場所に移されたのか定かではありませんが、祠には「二木大明神」と刻されており、この地を二木(ふたつぎ)といいます。隣には馬頭観音もあります。民衆の間では使役動物である馬の健康や冥福を祈る対象とされてきました。

そう書いたところで、このようなホームページの解説を発見しました。

どうやらこの頭がカチ割られたのは、馬頭観音さまらしいのです。

そして横の小さい石碑が、小二接神(二木大明神)とのこと。

現地案内板で大二接神、小二接神とあったので、てっきりこの馬頭観音が大二接神かとおもっていました。

しかし「神様の御旅所を二接神という」というのが謎です。

今泉 (鎌倉市) - Wikipedia

称名寺 - 鎌倉市観光協会 | 時を楽しむ、旅がある。~鎌倉観光公式ガイド~

阿弥陀三尊をまつる寺院で、木立に囲まれた境内は、滝の音や川のせせらぎが響く。もとは円宗寺という寺で、弘法大師が開いたと伝わる不動堂の別当を兼ねていた。その後、江戸時代に直誉蓮人が本堂を再興して現在に至っている。男滝・女滝と呼ばれる陰陽の滝のほか、石段を上ると改築した不動堂があり、境内には多数の石仏を見ることができる。

鎌倉の今泉というところは、空海創建と伝わるお寺がある地域のようです。

するとこの石碑をつうじて、故郷の神仏を遥拝していたのでしょうか……。

(2022.05.25訪問)