松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

岡山県岡山市北区野田屋町1丁目 子守神社


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なかなか画像がうまく撮れず四苦八苦していると、若い男女が「男の子ができますように」と手をあわせて立ち去りました。そのあと中学生の集団から「おれたちもお参りしようか~」と冷やかされつつ、境内の案内板をOCRで読み込む作業をつづけました。

子守神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

由緒
当社は、藩主池田光政公が御治世の承応2年(1653)岡山に大洪水があって当地に不審な石が流れ着き童(わらべ)らがこれを軽々ともてあそぶの母親が見て危ないと思い石を取り上げようとしても、その石は盤石のように微動だにしなかったので、人々は驚愕した。
夜半に神様が夢枕に立って「汝、その石を奉斎すれば童子たちを守護し、疫病、災難を除くべし」とのお告げがあり、たちまち消えてしまった。早速、御霊石を子供荒神様と崇めて手厚く奉斎した。
寛文年間に付近の川が氾濫したとき、童子が誤って濁流に落ちたが、流れて来た御霊石につかまり一命を取り留めた。
その後、上下の崇敬が厚くなり、御神徳は近郷まで広まった。
現在も子供の守り神としてまた、子授け、安産、子育て、学業成就、交通安全を祈り参詣する参拝者が多い。

OCRで現地案内板から文字起こししてみたものの、岡山県神社庁のホームページのほうが読みやすいため、こちらを引用します。内容はほぼおなじです。

阿須波神:玄松子の祭神記

阿須波神は大年神の御子神。
阿須波神は足盤、足場の神・足下の神。足で踏んで立っているところを守る神とされ、 『万葉集』巻二十・防人の歌にも「庭中の阿須波の神に木柴さし、吾は斎はむ帰り来までに」と詠まれている。

波比岐神:玄松子の祭神記

波比岐神は大年神の御子神。
波比岐神は這入君(はしき)、あるいは端引(はひ)きの意味で屋敷神と『古事記伝』では解釈している。

流れてきた石に神様の名前が書いてあったはずはないので、子供を守る神様としてこの地で信仰されていたのが、阿須波神・波比岐神だったのでしょう。

賀茂別雷神社 上賀茂神社 上鴨神社

須波神社~諏訪社 | 古都の礎

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社。
もともとは諏訪社と呼ばれていた社。
延喜式に載る式内社・須波神社に比定されて明治以降この名でよばれるようになりました。

阿須波神・波比岐神の二人は、大年神(天之忍穂耳)のお子さんなのに高木大神(高皇産霊神)+天之忍穂耳の陣営に加わらず、建御名方神と一緒に大国主・長髄彦側に立ちます。上賀茂神社にある須波神社は、賀茂別雷命、つまり崇神天皇側に屈服した(降伏した)証拠として残されているのです。

となると、子守神社が祀られているエリアは、現王朝側ではない神様を代々祭祀していた可能性があるわけで、なかなか興味深いことです。

(2022.05.22訪問)