松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

熊本県八代市妙見町 久木田天神


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この神社、なんと筑後柳川とのご縁があります。

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手漉き和紙の里 八代 宮地

1600年頃、水無川沿いで、柳川藩の御用紙漉き・新左衛門が紙漉きを始めたのが宮地和紙のはじまりです。熊本県下ではもっとも歴史ある紙のひとつです。

万治元年(1658)新左衛門の子孫・矢壁家のほか、原家、下川家が細川藩の御用紙漉きになります。その後、文化2年(1805)には、11軒の御用紙漉きがいたようです。

また日用の紙を漉く職人もいて、明治10年(1877)には、その数100人と書かれており(第1回内国勧業博覧会の賞状)、機械製紙が盛んになるまで、代々、多くの紙漉きがこの地で紙を漉いてきたことがわかります。

また紙漉きに関わる多くの職人らも住んでいました。

八代妙見祭の神幸行列に参列する白和幣(しらにぎて)は、この地の職人らが、自ら漉いた御幣(ごへい)を手に八代神社へ奉納するものです。

紙漉きに欠かせない水無川の美しい水と、その水無川から引かれた水路、洗い場、原料の楮をほぐす叩き石・・・、路地に入りこめば、この里のくらしの風景を目にすることができます。

この地に住み着いた筑後柳川の浪人 久木田九郎衛門は、毎月のように太宰府天満宮への参拝を欠かさなかったそうです。あるとき宮参りの帰りに荷物をほどくと、黄色い蝶が飛び去ったとのこと。そのあとを追うと、現在の社地がある場所で死んでいるのをみつけ、感じ入り、この場に天満宮を祀ることにしたのです。

別名「蝶天神」と呼ばれているそうで、この久木田家も藩の紙漉き職人をしていたとのこと。

境内は「足手荒神」があり、手足が負傷することのないよう願をかける習わしがあるそうです。

(2022.04.09訪問)