松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市小倉南区北方1丁目 天疫神社


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小倉医療センター(旧国立小倉病院)の前にある神社です。

拝殿と本殿をつなぐ渡りが本殿と一体となっています。珍しいつくりだとおもっていると、案内板に1972年(昭和47年)に大修復をおこなったとあり、そのさいにまとめて施工したもののようです。

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御祭神
須佐之男命 (鎭疫神) 高淤加美神 (雨神)
大汝牟遅神 (医薬神) 建御名方神 (武徳神)
少名毘古那神(医薬神) 彌都波能売神(水の神)
由緒
往古当社は蒲生疫神坂に鎮座し給い、里人の厄除、悪疫退散の祈願に明らかなる霊験を顕し給えるにより参詣者四時絶ゆる事なかりしと言う。元和八年九月二十一日(西暦一六二三年)向田(現在の日の出町)に迎え奉る。明治十三年六月現在地に遷座し奉り、爾來人々の崇敬篤し。

「蒲生疫神坂」がどこを指すのかわかりませんが、蒲生八幡神社かもしれません。日の出町とは、小倉競馬場近くの地名で、やはりここも疫病の拡大にともない、各地に勧請されたなかの1社だと言えるでしょう。

しかし、天疫神社という社号は同じでも、スサノオさん以外の御祭神が、どこもバラバラですね……。

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境内社をまとめたとおぼしき石祠があります。

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ところがその横にも参道の跡があり、お宮はありませんが、目当てとなるお榊が植えられています。なにがあったのでしょうか?それとも遥拝所かなにかだったのでしょうか?

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帰ろうとすると、桜と松を写真におさめようとする参拝者のかたがいました。

今日の神社めぐりは、よくほかの参拝者のかたに出くわします。

福岡県神社誌:下巻449頁
[社名(御祭神)]天疫神社(大名牟遅神、須佐之男神、少名毘古那神、高淤加美神、建御名方神、彌都波能売神)
[社格]無格社
[住所]小倉市北方字屋敷
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.05訪問)