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当宮は、太宰府天満宮から22.1km、ほぼ南に鎮座しております。
当宮を参拝すると、その先にちょうど太宰府天満宮があることになります。
なんの行事かさだかではないのですが、パンフレットを持った男女が町を歩き、ところどころに道案内のかたが待機しています。
この櫛原の地(櫛原庄)は、太宰府天満宮(安楽寺)領だった時代があるとのこと。
なんと源頼朝の創建とあります。
源頼朝は、母親の実家である熱田神宮の社家(大宮司家)で生まれましたから、熱田か八幡さまなら創建するでしょうが、なぜに菅公?
立派な随身門をくぐると、


近くにあった遺跡から移設された巨石が鎮座しています。
調べると、この石丸遺跡というのは、神社付近の住宅地造成のさいに発見されたもののようです。


参拝者が途切れたのをみはからって、社殿を撮影してみました。
石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年8月18日 - 1981年9月20日)は、日本の政治家。衆議院議長(第54代)、副総理、法務大臣、通商産業大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、運輸大臣、商工大臣、朝日放送社長などを歴任。久留米市名誉市民。
衆議院議長、日本体育協会会長などを務めた石井光次郎は父である。
扁額に石井光次郎の名があります。シャンソン歌手でエッセイストだった石井好子の父といったほうが、わかりやすいかもしれません。石井好子のエッセイで覚えているのは「新鮮なレタスはパラパラと塩を振っただけで美味い」といった内容でした。
ほんとうにそうかとおもって庭先のちしゃ(サニーレタス)をもいで洗い塩を振りかけて食ったら、苦かったのをおぼえています。こいつちゃんと水にさらした後を新鮮なのと勘違いしていないか?とおもったものです。
しかし、この神社を訪問してなによりも驚いたのは、絵馬の数と、その内容です。
どれもこれも「がん手術の成功」「がんの完治」にかんするもので、違う願意をみつけたとおもったら「医師国家試験合格祈願」だったりします。
菅公って医者でしたっけ?
商売の神様として信仰篤いと案内板にあるえびす様です。「えべっさん」と立て札には書かれています。
英彦山神社と伽藍社がならべて鎮座しています。もとはほかの場所にあったものを、合祀・移転したもののようです。
正面向かって左隣は、山王社です。福岡県神社誌でいう「日吉神社」がこれでしょう。


社殿はさんで反対側に「広瀧社」があります。
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
「もとは博多道交差点のあたりにあった」とあり「今昔マップ」を確認すると、どうやら国道3号線ができるまえからある街道の一画にあったようです。
福岡県神社誌:中巻148頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神、吉祥女、天之忍穂耳命)
[社格]郷社
[住所]久留米市東櫛原町字石丸
[境内社(御祭神)]天満神社(菅原道真公)、琴平社(大己貴命)、日吉神社(大山咋命)、広瀧社(太宰少弐高経)、賀覧社(天之忍穂耳命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.27訪問)