美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

推定相続人の廃除でもめる。



推定相続人の廃除でもめる。

28日、久しぶりの大親族会議のため、実家に行きました。

お勤めの休日の関係やら、法事やらなにやらで、平日木曜日の召集です。

そもそもの発端は、私が(親せき経由で)父親にたいして「推定相続人の廃除の手続きをすすめるから、署名しろ」と年末、伝えたことにありました。

「おれを相続人から外せ」とやったわけです。

ことの起こり。

1993年に曾祖父が亡くなりました。

彼は次男坊だったので家業を継がず、さいしょ陸軍に入りました。それから現在の北九州市戸畑区にあった明治専門学校(いまの九州工業大学と明治学園の前身)の教官になります。本人いわく「給料が安い」のが不満で、陸軍時代の伝手でまず満州、つづいて台湾で警官になりました。

警官といってもいわゆる警備警察や公安警察のたぐいで、抗日組織を山狩りして降伏しないやつを仕留めるのがお仕事でした(露骨には言いませんが、彼の話をどう聞いても、そう理解しないとつじつまがあいません)。

戦局の悪化で召集され、再度、満州に渡ります。

このときに知遇を得たのが、のちに代議士になったかたや、故郷で自営業をされたかたで、3人とも多少はロシア語が理解できますから、シベリア鉄道でソ連の兵隊さんが国境沿いに集結しているのを通信傍受し、逃げます。

日本に帰国して終戦となり、土地の仲買人(いまでいう不動産仲介業)など、いろいろ手がけるようになりました。売れ残った土地の端切れや、借金のかたにもらった墓地、大分県境の山林など、バラバラに本人名義の土地が残ることになります。存命中は、銀行経由でのちに老人ホームが建つ土地を売却したり、寺の墓地拡張用地に売ったり、せっせと整理していたのですが、亡くなったら、だれもブローカーが出来るひとがいません。

収拾がつかなくなる。

曾祖父が亡くなり、遺産相続の話になりました。

ここで私の父親ががぜんはりきりだし、遠縁の司法書士に遺産分割協議書をつくらせ、祖父以外全員に相続分の放棄をするようせまってまわります。

5人兄弟のうち、2名とここでこじれます。

言い分はいろいろあるのですが、

「次男坊三男坊は家を継がせてやれないから、お前たちの行きたいところに行け。学費は出す、と(曾祖父に)言われたから東京や関西の大学に行った。学費以外でめんどうはかけていない」

「あんたたちの学費を工面するのに土地を売ったりだいぶ(曾祖父は)金策に苦労している。充分もらっているはずだ。だから相続分を放棄しろ」

と言いあいになり、うっかり父が「あんたたち上場企業の役員やらなんやらなっとっちから。まだ欲しいんか!乞食か!」と吠え、相手も激高し、収拾がつかなくなります。

向こう側2名からみると、私のほうがまだ話はつうじるとおもったらしく、しつこく一人だけ呼ばれてムサコ(といっても武蔵小杉ではなく武蔵小山)や西武線の小竹向原や江古田に何度も足をはこんだ結果、

「言われるのももっともだし断る理由はない。おとなしく分割せれ」

と父親に言ったところ、

「腰抜け!」

と大喝され、こんどは私が父親と険悪になります。

実効支配に走る。

ここで、農協OBが登場します。

「20年占有すれば時効取得できる。田舎を出て行った連中に1ミリでも明け渡す必要があるか!登記なんかそのままの連中いっぱいおるやんか!」と父親に入れ知恵します。

つまり、お前たちには絶対に渡さないと宣言して、20年税金を払い続けて死守すれば、自分のものだというわけです。

さすがに遠縁の司法書士にこの話をすると「もう付き合いきれないから、このつくりかけの遺産分割協議書、持って帰れ。あとは(父親)の好きにさせとけ」とさじを投げられます。

その後、相続分放棄を拒否した祖父の弟2名やその家族から問い合わせがありましたが「私も付き合いきれないので、皆さんで話し合え」と言ってこの話からいったん、外れました。

実家改築で家を出る。

その後、雨漏りがひどくなり、一部の屋根が抜けかけているということで、実家を改築することになりました。相続がかたづいていませんから、解体もできませんし、建て替えもできません。

父親は祖父の弟2名に「これを機に相続の話を整理したい、建て替えたいのでまずは申し訳ないが家の分だけでも整理したい」と申し入れます。

そのさい、私のほうにも「いずれはお前のものなのだから建て替え費用の一部を出せ」という話がありましたが、

  • こんな1日6本しかバスが来ないクソ田舎での建て替えに借金かぶるのは断る。
  • 土地からこちらで探す。そこに(父親)が出資するならよい。

と条件提示すると、それは問題ないと言います。

遠縁のかたがむかし住んでいた土地(子息は関西に引っ越しずみ)を交渉して、そこの家族に手付金10万払って「(父親)を説得するまで、ほかの誰にも売らないでほしい」と約束してきたら、父親、「おせーよ、ハンコはもらったので現在地で建て替える」と宣言し、実行に移ります。

それから数日も経たず、祖父の弟2名から「相続の件を片づけると言って(父親)が来たが、あれから何も言ってこない」と連絡があり、「あんたらが騙されるけ、もう建築事務所と大工呼んで、解体したあとどう家を建てるか話がありよる」と告げます。

同じころ「住宅ローン組んでくれるそうですね」と農協の職員が訪ねてきたきたので、「あの家は私の家ではなく(父親)の家、これを機にあのアホと縁切るので、家が要ります。私にいくらまで貸せますか?」と話をして追い返しました。その2日後、時効取得をそそのかした農協OBから「親不孝者!親の言い分がきけんのか!人間か!恩をあだで返すのか!」と電話があります。

けっきょく、当時の年収で借りられる上限をかんがえるとなかなかむつかしく、2年ほどあれこれさがして、2008年にいまの分譲マンションを買って、家を出ることになりました。

事前の相続放棄はない。

2008年に家を出たあとも、曾祖父名義の固定資産税を父親が延々と払い続ける状況にかわりはありませんでした。

家業を廃業し、見栄をはった家の全額をおっかぶることになって予想外にタンス預金が減って不安になったのか、曾祖父名義の固定資産税を一部負担しろと、直接ではなく伯父叔母から私に伝えてきました。

「とりあえず20万持ってこいではなく、各市町村の固定資産税の明細をみせろ。総額をまず教えろ。カネのやりとりである以上記録が残らないといけないので銀行振り込みさせろ」と紙に書いてことづけると、沈黙しました。

さっさと権利関係を決着つければ済む話だったのですが、2008年ごろになると「負動産」問題が顕在化してきます。田舎の土地は二束三文でも売れず、相続したら固定資産税の餌食になるという現実が、表面化してきます。

こうなってくると祖父の弟2名(と家族)も「要らないから物好きに払わせとけ」と方向転換し、交渉の窓口だった私も実家を離れていますから、お盆の墓参りも墓地と納骨堂へ直行し、ほかの親せき宅にあいさつ回りして、祖父と父親の住む実家だけ飛ばして、東京へ戻るようになります。完全に、のけ者です。

さすがに自分の置かれている状況を理解するかもとおもっていたら、ここで父親が奇行に出ます。すでに故郷をはなれた他人が持て余している負動産を、購入しようとしはじめます。資産価値ゼロどころか税金かんがえたらマイナスを、嬉々として収集するのです。

これを知ったのが、たまたま先方がむかしの顔見知りで「おまえの親父がやってきて、要らないなら安くくれ。息子名義で登記すれば相続の問題にならない。なのに息子がカタい。学校の行かせ損。あんたは息子とくちをきくだろうから、委任状をもらってこい、おれが手続する、と言っていたが、ほんとうに要るのか?」と電話をくれたのがきっかけでした。

はい、問題の土地はこの耕作放棄地のどれかです。路線バス、コミュニティバスすらありません。人口5万くらいの都市に出るのに、どの道をとおっても1時間かかります。

しかもここ、大雨が降ると浸水します。これをおカネ出していまから買おうってんだから、正気ではありません。まぁ、転売できる中共や韓国のかたを知っているってんだったら止めませんが、そんな話きいたこともありません。

さすがにもう限界なので遠縁の司法書士に「相続放棄というのはほんとうに事前にできないのか」というと、制度がそうなっていない。死んで3か月以内に手続きをするしかない、と言います。

以前からタンス預金家で暗証番号の知らない金庫2つあるのは気づいてましたが、あのタンス預金があるかぎり、こちらは枕を高くして眠れないわけです。

「推定相続人の廃除」

数年前、遠縁の司法書士もお亡くなりになり「死んでからが勝負か。葬式なんかかまってられんな」とおもっていたところ、知人事務所の関係で知り合ったかたから「相続人から外してもらえるのではないか」という話がありました。

「(父親)の遺産はいらん」というのを生前に行うのではなく、「(私)を相続人から外す」を、向こうにやってもらえ、というわけです。

頭をさげるのはしゃくですが、これ以上妙なことをしでからかしてくれるより、ましです。

叔母をつうじて「相続廃除の様式を裁判所でもらってきたので、署名してこちらに送り返せ、ほかに必要な書類はおいおいそろえる」とやったら、叔母が血相変えてあちこちに電話をしたようです。

  1. てっきり曾祖父の相続問題はかたづいていたとおもっていた面々
  2. 権利が確定すれば、売れない負動産の固定資産税がいまからのしかかってくる面々
  3. 一人だけ逃げるなおれも逃げたいという青年

が「経緯説明しろ」「いまさら?」「おまえ長男だろ諦めろ」「底辺労働者とかぬかしてるがおれより稼いでるじゃないか(だから権利確定させてこっちにおしつけるな)」ともうれつに騒ぎだし、今日を迎えました。

結論。

予想どおりですが結論はでません。

ただ、現状認識をすり合わせただけで終わりです。

騒動の当事者(父親)は、

  • 家の資産は代々長男が継ぐもの。法律がおかしい。
  • この田舎で土地を処分したら、どんな噂がたつかかんがえりゃわかるだろうが。現状維持か少しでも増やす。見栄はって悪いか!
  • 家のおカネがいくら残っているかはおまえらには言わない。他人に財布の中身をみせびらかす馬鹿がどこにおるか。
  • 各市町村に払っている固定資産税の総額はおまえらにはおしえない。これはおれのものなのだから、お前らに言う義務はない。不法占拠?それで税務署や役所が来たか!あいつらは税金ちゃんと払えばそれ以上言わん!

と、あいかわらずの主張をします。

で、周囲の顔をながめていて気づいたのは、反応は真っ二つでした。

  1. (私)が若いものを連れてきて親を吊し上げている。可哀想に。ここまで我が親に薄情になれるものか。人間がおかしい。さもしい。なさけない。そがんカネ金かねと親を追い立てんでも。
  2. もう(父親)は居なかったものとして考えよう。こいつにアタマ使うだけ時間の無駄。葬式は世間体があるから出るが、それ以上のことはしない。戦後生まれのはずなのに、アタマのなかが明治か江戸。放っておいても(父親)の肩をもつ連中が、(父親)の介護やらなにやらせっせとやるよ。(私)も知らんぷりしとけ。

というもの。

日ごろから接している面々と、今日のために津々浦々から呼びつけられた面々で、どっちのかたをもつか、これだけきれいに分かれるとはおもってもみませんでした。

それが収穫ってことなんでしょうね。

やれやれ……。

負動産から逃れるための戦いは、終わりません。