美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

福岡市東区箱崎2丁目 車僧観音堂




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目の前の市道は路線バスもとおる道ですので、画面におさまるよう道に飛び出て撮影するわけにはいきません。すると、歩道から横向きにねらうしかないのですが、どうも壁や石柱が傾いているのか、私の心がひん曲がっているのか(たぶんこれが正解)、グリッド線を左右どちらかの石柱にあわせると、傾いてみえてしまいます。

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車僧(深山正虎)観音の由来
昔から車僧観音は霊地の一つにかぞえられていたところで観音と云っているのは車僧が熱心な観音の信仰者だったことによるといわれている。
車僧は深山正虎禅師と称し京都太秦海生寺や大和国吉野宝泉寺の開山である。
つねに破れ車に乗ってその欲する所に行くので世人呼んで車僧といった。 又よく700年前の話をするので700歳とも言った。
一夏、中国の鳥窠道林の風を慕って箱崎に来て承天寺の直翁智侃禅師(1245-1322)[5](承天寺第9世・東福寺第10世)に謁して僧となった。
後、庵を山科の山中に結び、いつも時菓をもって東福寺に智侃禅師を訪ね、生年は元亨2年(1322)と云われているが迁化の年は不詳である。
海生寺は始め海蔵寺と云ったのを改めたとも云われ車僧が座禅(ママ)した当地の松は明治8年(1875)伐採された。 

承天寺の名がみえます。

承天寺 - Wikipedia

承天寺(じょうてんじ)は、福岡県福岡市博多区博多駅前にある臨済宗東福寺派の寺院である。
歴史
仁治3年(1242年)、大宰少弐・武藤資頼が円爾(弁円、聖一国師)を招聘して創建。創建にあたっては謝国明ら宋商人が多く援助した。寛元元年(1243年)、官寺となる。

官寺とは、朝廷や国家が荘園を寄付したり経済的に支援した最高級の寺をいいます。

海正寺(車僧影堂)

『太秦海生寺開山深山和尚行状』によると、深山正虎は、その俗姓・出身地は不明で、常に破れ車に乗って町におり、道行く子ども達がその車を押したり引いたりしていたという。そのため里の人は彼のことを「破れ車」と呼んだという。また語ることは700年前のことを語っていたので、「七百歳」とも称された。
ある夏、筥崎宮(福岡市東区)の松の木の上で坐禅をし、夏が終わると直翁智侃(ちょくおうちかん1245~1322)のもとに参禅し、ここで剃髪して僧となった。
山階の山中に庵をつくって住んだが、たびたび師の直翁智侃の塔である光蔵庵に赴いては、季節の果物をもって直翁智侃の木像に備えていた。

どうやら彼はここ箱崎の地で修業し僧となったあとは、京都にもどって自らの寺をひらいたようで、その痕跡はいまものこっているそうです。

goo.glぜひ、一度訪問してみたいものです。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.13訪問)