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老松宮(老松神社)を名乗っているお宮は、往々にして古い祭祀があり、安楽寺領となったときに、菅公(とその関係者)に祭祀が上書きされていたりします。
老松宮(老松神社)を訪問するときは、元は何であったかを想像するのもじつに楽しいものです。
ここも注連掛柱を眺めてみると、三階松です。むろん老松(追い松)として三階松を使っているのだという主張もありますが、私たち九州王朝論者は、宮地嶽神社が三階松を使っているのを知っています。高良玉垂命となるまえの藤大臣阿部相凾(あべのしょうかん)が祀られている宮地嶽神社と同じ紋章であるというだけでも、ここはもともと九州王朝のお宮であったことがわかるわけです。
そのつもりで境内を一周すると、正面向かって右手に「若宮」があります。
老松宮の元の姿は玉垂宮か宮地嶽ですので、若宮とは仁徳天皇(斯礼賀志命)なのだろうと推測できます。
正面向かって左手に、福岡県神社誌にも記載がある「貴船神社」がありました。
なぜ、貴船神社は記載して、若宮は載せなかったのでしょう?
福岡県神社誌:上巻321頁
[社名(御祭神)]老松神社(菅原神)
[社格]村社
[住所]嘉穂郡上穂波村大字北古賀字上村
[境内社(御祭神)]貴船神社(高淤加美神、闇淤加美神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.12.30訪問)