松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

田川郡添田町落合 二又トンネル事故慰霊塔


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二又トンネル爆発事故 - Wikipedia

二又トンネル爆発事故(ふたまたトンネルばくはつじこ)は、1945年11月12日に福岡県田川郡添田町落合の日田彦山線彦山駅から南方500メートルにあった二又トンネル(鉄道路線は未開通)において、アメリカ軍が大日本帝国陸軍の隠していた火薬を焼却処理しようとしたところ大爆発を起こし、山全体と多数の民家が吹き飛ばされて死者147人、負傷者149人、家屋135戸が被災した事故である。

2021年8月28日、午前6時に家を出て、久しぶりに添田町落合地区に出ました。

1945年11月、二又トンネル爆発事故があった場所です。

曾祖父と祖父母はそれぞれ、終戦後、満州と台湾から引き揚げてきました。

曾祖父は終戦をまたずして日本に戻る途中であったため、朝鮮半島での混乱に巻き込まれず日本に戻れたのですが、諸事情(早い話が生活費の工面)で、下関・戸畑にしばらくとどまることになります。

祖父母が台湾から引き揚げてきたのが1946年の春で、そのあいだ、実家は曾祖母と女中(じょちゅう:当時は住み込みのお手伝いをそう呼んでいました)さんだけで、雨漏りでボロボロになっていたそうです。

家を補修するためには木材が必要です。当時の慣習として、地元の共有林を伐採して製材所に生木(なまき:切り倒した杉)を持ち込むと、加工賃に少し上乗せして、乾燥ずみの材木を購入することができました。都市部の製材所は、外部から仕入れた生木を加工・乾燥させて売る、現在の私たちのイメージに近い商売がメインでしたが、田舎の製材所は、実態は「加工屋」だったわけです。

地元の共有林は現在の田川郡添田町内にあり、勝手に伐採はできませんから同じ集落の各世帯に話を持ち込み了解を得て、互いに協力して運び出し、製材所に持ち込んでいました。

このとき、祖父は彦山駅周辺が吹っ飛んだ話を初めて聞き、吹っ飛んだ惨状を目撃したそうです。まったく気づかなかったとのこと。吹っ飛んだ集落に縁故者が居るひとにはすぐに情報が伝わったようですが、SNSでなんでも拡散する現在とは大違いです。

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日田彦山線の線路を撤去している現場で、切通しにみえるのが、爆発により山体が吹っ飛んだ跡です。

このときの話はここまでで、それ以上祖父も詳しくは知らず、私もとくになにかを調べるわけでもなく、そのままになっていました。

よく拝見させていただいているブログにて二又トンネルの話題が取り上げられており、訪問してみることにしました。なかなか路駐できる場所がないため、彦山駅に車を停めて、歩きます。

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慰霊塔へは、国道から川沿いの旧道へおりていきます。

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地元の集会所をすぎてさらに突き当りまで歩く必要があります。

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集会所と隣り合わせに寺があります。かたちの上では、慰霊塔はこの寺の敷地に建っているわけです。

ジモティでないと、さすがにこれではわかりません。

そして注目すべきは、慰霊塔と本尊がちょうど対峙する位置にあることです。つまり、本尊につねに見守られる場所にあるということ。もしかするとこの慰霊塔は、事実上の合同墓であり、その墓守としてこの寺が残っているのかなぁ、などと考えてしまいました。おそらく、それで間違ってはいないと思います。

(2021.08.28訪問)