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扁額に「天満宮」「宮地嶽」と併記されているため、宮地嶽天満宮と地図で表記されるようになったのでしょう。
集落内の自治・信仰の中心として成立してきた場所のようで、ちょっとした遊具などもあります。
本殿を眺めていて気づいたのは、正面向かって右側に三階松紋があり、左側に梅鉢紋が彫られていることです。つまり、地元は、宮地嶽を天満宮よりも上位にみていたわけで、この辺りの意図をどうとらえるかは、考えどころではあります。
少なくとも宮地嶽は、まだ高良玉垂命になる前の藤大臣阿部相凾(あべのしょうかん)を、妻子とともに祀る信仰ですから、もともと玉垂宮とは少なからぬ縁があります。
京都の北野天満宮が、梅紋のほか三階松紋を使用しています。
久留米市北野町中 北野天満宮(上宮・下宮) - 美風庵だより
これ、老松信仰として語られることが多いのですが、すでに私たちは久留米市北野町の北野天満宮のほうが先であり、玉垂命(高良大神)が祭神から消え、三階松紋だけが京都に運ばれたことを知っています。
そういう意味では、梅鉢紋と三階松紋が並ぶこの神社は、最初期の天満宮をそのまま引き継いでいるともいえるのです。
福岡県神社誌:下巻422頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原道真、勝村神、勝頼神、神功皇后、保食神)
[社格]無格社
[住所]浮羽郡大石村大字古川字出口
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.04.03訪問)