美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

田川郡赤村赤 八幡神社(光明八幡神社)


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カーナビを参照しながら光明八幡神社に向かう途中、神社の隣にあるお寺の前を通りかかりました。なんと「妙見山」です。どうもここは妙見信仰があった地域のようなのです。

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長い石段をあがると、昨年、田川・京築の大祖神社を訪問した際によくみかけた、横長の拝殿がありました。本殿には三階菱の御神紋があり、小笠原藩時代の建築であることがよくわかります。

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我鹿八幡神社と光明八幡神社は、今川をはさんで、向かい合うように配置されています。最初はこれそのものに意味があるのかと考えていましたが、もともと神が降り立ったとされる御許山の麓と御許山を見上げる位置に建てられているためで、結果として対向配置になっているのです。

福岡県神社誌を読むと、最初は麓の、現在の光明八幡神社の位置に下宮と呼ばれるお宮がありました。その後、村の中心地である現在の我鹿八幡神社の位置に遷座します。赤村が上赤・下赤の2村に分かれることとなり寛永7年(1630年)に、再度、仲山八幡神社(我鹿八幡神社)から分かれたとあります。また、

御祭神がほぼ同じなのも、ある程度神社としての形が定まった江戸時代の分社であると考えれば、理解できます。

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となると、最後に残る謎は、社殿の両脇にある境内社の存在です。福岡県神社誌では境内社は3つあるはずですが、2つしか見つけることができませんでした。気になるのは、真新しい石祠です。これが大祖神社(妙見山)であるとするなら、御許山に降り立った神は(社伝どおり)応神天皇と受け取るのはむつかしく思えます。

隣にあるお寺の山号のとおり、妙見山であり、天之御中主(or関係者)が最初の支配者であったと考えるのが、自然です。やがて、宇佐神宮の影響下、現在の社伝が創作されたとみるべきでしょう。

天之御中主の子が月読命(大山祗)であり、罔象女神(みずはのめ)は孫にあたります。我鹿八幡神社と光明八幡神社の御祭神に、大山祗が加わっているのも、おそらくその暗示でしょう。

さらに言うなら、代々の支配地であったかもしれないということが、我鹿八幡神社で書いたとおり、保食神こと天細女の支配地であったことの傍証ともなりえます。
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福岡県神社誌:下巻198頁
[社名(御祭神)]八幡神社神功皇后保食神応神天皇姫大神大山祇命
[社格]村社
[住所]田川郡赤村大字赤字岡本
[境内社(御祭神)]須佐神社、大祖神社、菅原神社
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(2020.05.26訪問)