美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

久留米市安武町住吉 天満神社(天満宮)


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今回は電車とバス利用で現地に向かいました。行きがけに、福岡県神社誌を確認します。埴安神(埴安命)こと大幡主は、明治26年1893年)に原田神社が統合された際に合祀され、筒男神大正3年(1914年)に御崎神社が統合された際に合祀されたと記載があります。御崎神社に関しては小字が同一のため、おそらく同一地にあったのではないでしょうか。

現地を訪問してみると、社殿の屋根に梅鉢紋のほか、輪宝紋のような紋章がついています。まさか仏教関係とも思えないため、おそらくは船の舵を示しているのでしょう。

住吉地区に祀られている筒男神ということを考えれば、初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)か、彼の実子 安曇磯良(あずみのいそら)かとまず、考えてしまいます。

住吉の名を継承した者に範囲を広げれば、バス停4つしか離れていない大善寺玉垂宮をはじめ、玉垂命の可能性も考慮しないといけません。しかし、どうもそちらではないようです。なにせ、祭神に大幡主が居ます

この日記では大山咋と玉依姫から崇神天皇が生まれた血筋を取り上げることが多く忘れがちですが、玉依姫豊玉彦の子 鵜葺草葺不合命という血筋もあるのです。豊玉彦の父親が大幡主なのは、この日記をご覧の方なら説明不要でしょう。

玉依姫についてはしょうじきどの世代なのかわかりにくい存在です。要は「ショタコンのばあさんが若者を下の口で食べまくった」と素直に書いてしまえばそれだけなのですが、女性はなんといっても出産可能年齢を考えないといけませんから、難しくしてしまいます。まだまだ考えることが多いのです。

 

正面右手に境内社がずらりと並べられています。中央に同じ規格の祠が3つあります。原田神社があるのは、もしかすると戦後に再度本殿から「格下げ」されたのかもしれません。

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賀茂建角身命 - Wikipedia

別名には八咫烏八咫烏鴨武角身命、三嶋湟咋、三島溝咋、陶津耳命、陶津耳、天日方奇日方武茅淳祇がある。
(略)
新撰姓氏録』によれば、賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫である。神武東征の際、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導し、金鵄として勝利に貢献した。

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小烏社という社名も、鴨武津見神という祭神も聞きなれませんが、別名のヤタガラスで豊玉彦だとわかります。豊玉彦ほどの大物が「小」であるわけがなく、大幡主の「子」だったのが、どこかで書き換わったのではないでしょうか。彼のまたの名は思兼命であり、秩父大神でもあります。

その隣は「八百万神社」とあります。天神地祇をすべて祀ったものということでしょうか。

この境内社の配置は、考え抜かれたものです。大幡主と豊玉彦が境内に別にお祀りされているのですから、本殿に居るのは、鵜葺草葺不合命だと考えるのが筋がとおります。

ここまで考えてみると、最後に残るのは「何故天満宮に上書きされたのか?」という点です。単純に、大幡主を祀る天神社が、天神つながりで菅公にすげかわったと見てもよいのでしょうが……。
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[福岡県神社誌(抄)]下巻25頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神、埴安神、筒男神
[社格]村社
[住所]三潴郡安武村大字住吉字サヤノ木
[境内社]無格社小烏社(鴨武津見神)、八百神社(八百万神)
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(2020.02.15訪問)