美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

小郡市山隈 日子神社


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現地の案内板によれば、英彦山が「日子山」であった時代に勧請された古社であるとのことで、平成になって再建された社殿にも誇らしく、二引き鷹の羽紋が打たれています。とにかくゆるやかに真っ直ぐ伸びる参道が見事で、御神域の厳かさをよく演出しています。

高木大神と天照大神卑弥呼)の実子はニニギで、ほんらいならこちらのほうが「日の御子」でないとおかしいのですが、英彦山神宮の御神紋が二引き「鷹の羽」紋であることからもわかるとおり、義理の息子のほうが「日の御子」扱いとなっています。ニニギはドラ息子のたぐいだったのかもしれません。

いちおう日本書紀では、ニニギの子が神武天皇とされており偉大な人物扱いではあるのですが、実態は、高木大神と天照大神の義理の息子 天之忍穂耳が「日の御子」を継ぎ、その孫である崇神天皇住吉三神のひとり 中筒男)が四道将軍を派遣し、日本統一を達成して「ハツクニシラススメラミコト」と称えられるのです。

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崇神天皇 - Wikipedia

崇神天皇5年
疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。
崇神天皇6年
疫病を鎮めるべく、来宮中に祀られていた天照大神倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した
(略)
崇神天皇10年
9月、四道将軍派遣、武埴安彦の叛乱
10月、畿内は平穏となり、四道将軍が再び出発。
崇神天皇11年
4月、四道将軍が戎夷を従わせて帰参、その様を奏上した。
崇神天皇12年
9月、戸口を調査し、課役を科す。天下平穏となり、天皇御肇国天皇と称えられる。
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その天之忍穂耳を、彼の出自(熊襲)を示す鷹の羽紋でいまも祀っていることが、もともと倭国熊襲国だったなによりの証拠です。熊襲の残党狩りを行い、痕跡を消していくことは、2代目、3代目を継いだ若社長が、先代の遺臣が邪魔になりバッスンバッスン切り捨てる状況にも似ています。王朝交代と言ってよいでしょう。

そういう意味では、邪馬台国がどこかなんて無駄な論争なのです。赤貧は、実際には存在しなかったとすら考えています。

現王朝(現皇室)とは関係ない、前王朝とすらいえないファンタジーなのです。

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[福岡県神社誌(抄)] 下巻420頁

[社名(御祭神)]日子神社(忍骨命)

[社格]無格社

[住所]三井郡立石村大字山隈字城山

[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.10.06訪問)