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福岡県神社誌では八幡神社とあり、御祭神は応神天皇と菅原神とされています。ところが地図では天満宮となっており、現地に行くと2本ある鳥居に一つずつ、「八幡宮」と「天満宮」の扁額がかかっています。
社殿をぐるりと見回してみるとわかりますが、どう考えても天満宮のつくりではありません。確証はありませんが、八幡宮となるまえは玉垂宮だったのではないかとすら思ええるのです。
福岡県神社誌には、べつにあった天満宮を明治44年(1911年)に合併したと記載があり、地図の「天満宮」記載は、庇を貸したら母屋まで持っていかれた状態といえます。
ただ、どうも社殿の正面側が梅鉢紋が打たれ、社殿の裏側に三つ巴紋が打たれているのをみると、もしかすると住民の感覚的にも、八幡宮より天満宮のほうが信仰の対象なのかもしれません。
(2019.09.07訪問)