【2020.5.7追記】
以下の文章で「高木神社」は県社・郷社それぞれ1社のみと記述しておりました。久留米市御井町に郷社の「高樹神社」があります。これも高木神社と同系統の神社であり「木」と「樹」の表記違いですので、合計で郷社以上の高木神社は3社あると訂正させていただきます。
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福岡県内の「高木神社」で県社なのは嘉麻市小野谷の高木神社のみであり、郷社に格付けされているのは、この添田町津野の高木神社のみです。ほかの高木神社より、一段格上の扱いとされている神社はどんなものなのか、初めて訪問してみました。
福岡県神社誌を参考にすると、御祭神は、事代主(少彦名=えびすさま)、豊玉彦(大幡主の子で別名が思兼命)、高木大神(高皇産霊神)、楮幡千々姫(=高木大神の娘)、三穂津姫(=豊玉彦と高木大神の娘 万幡豊秋津姫の子 別名は豊玉姫、田心姫)です。
言い直すと、「高木大神本人」、「長女 栲幡千々姫(=万幡豊秋津姫)」、「長女のムコ 豊玉彦」、「長女とムコの子(つまり孫) 三穂津姫(=豊玉姫=田心姫)」、「三穂津姫の子(つまりひ孫) 事代主」 と、縁者だらけが祀られています。
嘉麻市小野谷には県社の高木神社があるのですが、高木大神(高皇産霊神)のみとされており、ずいぶんと様相が異なります。領地支配のための出先ではなく、ほんらいの支配地ならではの濃さを感じるのです。
もうひとつ気になったのは、正護神社というお宮が併せて祀られていることです。
御祭神は天之御中主、イザナギ・イザナミ夫婦とされています。英彦山のほんの近くまで妙見信仰の拠点があったということは、重要です。
そもそも、高木大神がなぜ天之忍穂耳(阿蘇の草部吉見)と組んだのかが謎でしたが、もともと熊襲の妙見信仰が持ち込まれた土壌があってのことだったのです。
本殿の向かって左脇に、祗園社があります。福岡県神社誌では須佐神社と紹介されています。御祭神が行橋市元永の須佐神社と同一ですので、おそらくそこからの勧請と思われます。
妙見信仰のお宮がもともとあって、そこには須佐神社も揃っていて……となれば、添田町津野という山間部の地域と、海沿いの行橋市元永につながりがあったとも思われ、古代、ひとびとは自らの信仰を持って、各地に移住していったのだとあらためて実感します。
帰路に着くまえに、高木神社の社殿のなかをのぞきこんで驚きました。柏紋です。
……ということは、高木大神がメインではなく、あくまでも子孫世代の事代主がメインで、彼が自らの母系を祀る神社としたのが、この高木神社だったという解釈が成り立ちます。だからこんなに血縁者だらけなのですね……。
ただ、後世のひとは知ってか知らずか、いくら別棟とはいえ、スサノオ、奇稲田姫、豊玉彦をいっしょに祀っているのもすごい話です。
前夫と再婚相手に囲まれているわけですから、奇稲田姫も落ち着いてはいられないでしょう。
(2019.08.17訪問)