美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

嘉麻市嘉穂才田 天神社


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福岡県神社誌には、嘉穂郡千手村上才田には無格社「豊日別神社」があると記載があったので、嘉穂才田上才田集落をぐるりと一周したら、代わりに天神社を発見しました。

ゼンリンの地図では「猿田彦大神」となっていますが、お宮には「天神社」とあります。

天神社は過去に何度か書いたとおり、菅公を祀る天神社と、タノカンサー(大幡主)を祀る天神社があります。境内の案内板を読むかぎり、菅公と思われているふしがあり、周辺の立地からすると大幡主としか思えないのですが、決め手がありません。

やぶ蚊に刺されながら周囲を探索し、あきらめて車に乗り込んで県道に出ようとしたところ、三つ盛亀甲紋の家紋がある家を発見しました。

博多櫛田宮を見ればわかるとおり、大幡主の紋です。

 

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大幡主は博多櫛田宮など数えるほどしかお祀りされていない神様です。しかし、神武天皇の母と兄弟という血筋といい、大山祗の子 大国主を引き取り後継者とした度量といい、「現在の皇室(崇神王朝)につながる高木大神のグループ」と「筑紫君・熊襲グループ」に対して一家をかまえただけのことはあると、神社めぐりをしていていまさらながら考えることがあります。

おそらく、建御名方やナガスネヒコの反乱がなければ、大国主や大山祗が出雲や四国に押し込められることもなく、彼らの惣領 大幡主も、もっと各地で祀られていたかもしれません。

天神社があって、その集落に三つ盛亀甲紋を家紋とする家があるということに、ほんらいの氏神と氏子のあるべき姿を見た感じがします。
(2019.08.12訪問)