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地図をみればわかるとおり、ちょうど田んぼと水路のなかに浮かぶ島のような神社です。この配置は、県南の玉垂宮でみかけます。
これは、玉垂命がほんらい海に縁がある神であることを、疑似的に示しているのだろうと赤貧は解釈しています。
「地理院地図」サイトで、1970年代の航空写真を確認することができます。土地改良前は大きな道すらなく、ほんとうに田んぼのなかにぽつんと存在しているのがわかります。
福岡県神社誌によれば、御祭神は応神天皇とのこと。応神天皇単独というのは珍しく、おそらくは祭神の漏れがあるのではないでしょうか。
社殿の周りには境内社が2つあり、かたほうは天満宮の祠であると判別できるのですが、もう片方は、残念ですが赤貧には読めませんでした。
拝殿・渡殿が土間に屋根がかかった造りで、流造の本殿だけが少し高い基礎の上に独立して建っている社殿のつくりは、同じ筑前町にある大己貴神社とそっくりです。大己貴神社から車で数分の位置にあり、古くから社殿の構造についても影響を受けてきたのでしょう。
本殿の上には、八幡宮にしては珍しく菊花紋が打たれています。
八幡宮はたいてい三つ巴紋が多いのですが、宇佐神宮は八幡大神(応神天皇)の御神紋を菊花紋としており、おそらくそこからきたのではないかと考えられます。
さいしょは、もしかすると玉垂宮の痕跡があるかもしれないとけっこう期待していたのですが、決定的な証拠となりそうなものを発見することができませんでした。ほんとうに最初から八幡宮、しかも宇佐神宮系の八幡宮として建立された可能性があり、どこかで創建年を調べてみる必要がありそうです。
(2019.08.02訪問)