仕事を終えて、まだ明るかったので下調べ程度のつもりで、松崎駅近くの老松神社に行ってみました。玉垂命を祀る神社としてリストアップしていたのですが、なかなか行く機会がありませんでした。
18時半をまわっているのに、まだまだ明るいのは、さすが6月です。冬ならこうはいきません。
拝殿には、この神社特有の注連縄飾りである「人形注連ねり(ひとがたしめねり)」が飾られていました。
この地はむかし、神岩戸(かみのいわと)と呼ばれていたそうで、神功皇后が羽白熊鷹を滅ぼし、つぎに瀬高に遠征するための中継地となった場所と伝えられています。
すでに社殿のなかは暗かったのですが、神殿の脇に、伴神像が祀られていました。
さすがにこの時間に本殿まわりをうろついて賽銭泥棒と間違えられても困るので、これ以上の写真はあきらめました。ただ、玉垂命と住吉大神が主であり、老松神社となる前は、おそらくここも玉垂宮だったのでしょう。
境内には、菅公を祀る天満神社と、猿田彦を祀る事勝神社があります。天満神社には仁徳天皇もお祀りされています。境内にある案内板では、福岡県神社誌とことなり、若宮八幡宮と案内されていましたので、地元では仁徳天皇のほうが上とみているということになります。
社殿に菅原眷属神で、摂社が菅公本人というのは、一見、逆転しているようにみえます。老松神社の社殿は、この地を治めた菅原家(菅公の縁者でしょうね)が造立したとのことなので、その際に、玉垂宮に祖神老松明神を追祀し、老松神社と名をあらためたのでしょう。
神功皇后の伝承地なのに神功皇后が居ないというのは少し不思議な気もしますが、玉垂命=筑紫君、住吉大神、仁徳天皇と、彼女を支えたオールスターがそろっており、もしかすると老松明神と神功皇后を取り換えたのかもしれません。
上にコンクリートブロックで塀が築かれているため最初気づかなかったのですが、土台が玉石で築かれており、社殿が一段高く、民と臣下に命をくだす場所がもうけられています。ここは、王族の行宮跡の記憶を、いまもとどめているのです。
また日をあらためて、この神社を再訪してみようと思います。現地案内板では、もとは上岩田・井上・下岩田の氏神であったとされており、おそらくこの3地区ぜんぶを比較しなければ、全容はわかりそうにないからです。
(2019.06.27訪問)