鳥居の道をはさんで反対に大行事社の石碑があり、英彦山信仰の根強さを実感します。そこから10mほど歩くと、鳥居が見えます。石段そのものは決してあがりにくいものではないのですが、落ち葉がひどく、すべりそうになります。
登り切ってみると、周囲の木々が伐採されて異様な雰囲気です。
水害で流れたとも思えず、山火事の後片付けっぽいのですが、神社だけ無傷というのも不思議。これはいったい……。
福岡県神社誌では、大正13年に無格社須賀神社と合併し櫛木435番地から移転とあります。道理で石段が比較的新しいわけです。
夜須町史を確認すると、昭和50年に火事で焼け再建とのこと。コンクリート造りになったのはこのときでしょう。
この櫛木という集落は三箇山といっしょに五玉村と言っていた時代があったそうで、五玉神社なども含めた検討が必要かもしれません。
(2019.06.09訪問)