2017年1月の東響定期以来の「サロメの悲劇」です。2年前の演奏も素晴らしいものでしたが、広響は、どう料理するでしょうか。
秋山さんの正攻法の攻めかたはいつものとおりです。2年前は純音楽っぽさが表にでていましたが、今回は、サロメ役のひとり芝居が舞台で繰り広げられているような雰囲気があります。演奏会終了後、JR横川駅まで路面電車で戻りました。その間、一緒に路面電車に乗り合わせた老夫婦が、オスカー・ワイルドの台本や、リヒャルト・シュトラウスのオペラを前提に、「オリエンタルなものかと思っていた」「最後は押しつぶされて終わるはずだが、あの大音響が押しつぶす場面なのか?」といった会話を繰り広げていました。よほど横から解説をいれようかとも思ったのですが、新幹線の時間が気になるのと、疲れが出てそんな気力もありませんでした。
たしかに、神罰で街が崩壊していくなかを、独りサロメが延々と乱舞するイメージは、なかなかわきにくいものです。こういうバレエ音楽は、ちょっとした舞台上演形式にすると、もっとお客さんにわかりやすいかもしれません。
というより、岩野裕一さんの曲目解説が、一見さん向けの導入にぜんぜんなってません。
権力におもねり夫を棄て夫の弟(ヘロデ王)と再婚したヘロディアスを、預言者ヨハネが批判します。彼はとても人気があり、ヘロディアスはうかつに手が出せません。ヘロディアスの連れ子 サロメをヘロデ王はとても気に入っており、踊りを披露したサロメにヘロデ王が「褒美に欲しいものはなんでもやる」と言ったとき、ヘロディアスがこれ幸いと娘をそそのかし「ヨハネの首が欲しい」と言わせます。
そこに神罰がくだり、街が崩壊し、恐怖のあまり乱舞するサロメにも死がおとずれます。「サロメの悲劇」は、そういう終わりかたなのです。
ワイルドとそれを下敷きにしたリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」は、サロメはヨハネを愛していた、という要素をここに挿入したことで、がらりと話の性格を変えました。殺してでも手に入れたい相手の首をもって狂喜するサロメを、スケベ心丸出しだったヘロデ王は怒りにまかせ「殺せ!」と命じて、幕。娘を手に入れるために母親を落としたといわんばかりの態度が、手のひらを返して、怒りにかわる。
サロメの愛と、脂ぎった男の欲。その両者を持ち込んで、聖書のなかのエピソードが、芸術に生まれ変わりました。ワイルドのすごさは認めざるをえませんが、目の前でこれだけの演奏が行われていても、ワイルドがコテコテに盛った話とは別筋の解釈を題材にしています、と解説でおことわりしていないので認識のズレを補正できず、反応が鈍い。
肝心の演奏は、ところどころで音のバランスというか、以前聴いたものとも録音で持っているものとも違うところがありましたが、イメージを壊すようなものではなかったと思います。むしろ、舞踊音楽っぽい間の取り方が、良かったと感じます。
秋山さんと広響は、曲そのもので理解させようと努力されていました。ただ、初見さんの戸惑いを客席からけっこう感じ、もったいないなと思ったのが事実。
「ペレアスとメリザンド」は、じつに柔らかい上品な演奏で、これもしっかりと物語の雰囲気を伝えてくれました。曲のわかりやすさもあって、これがこの日の収穫だったと感じたお客さんも多かったでしょう。
ヴァイオリンは2曲とも短い曲ですが、内容はとても濃いものを選択しています。
軽々と飛び跳ね、それでいて説得力も表現力もある。すごい才能です。アンコールのタイスの瞑想曲を聴きながら、これなら「詩曲」を組んでくれればよかったのに……と少し思ったりもしました。
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広島交響楽団第392回定期演奏会
日時 2019年7月12日(金)18:45開演(17:45開場)
会場 広島文化学園HBGホール
出演
指揮:秋山和慶
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー*
曲目
フォーレ:管弦楽組曲「ペレアスとメリザンド」Op.80
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ Op.28*
ラヴェル:ツィガーヌ*
フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」Op.50
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(2019.07.12記述)