唐戸でも目立つ「世界一のふくの像」の看板がある神社さんです。
宇佐宮から石清水に勧請するとき、途中で神様がお休みになられた場所と言い伝えがあります。
宇佐宮のある山(丘?)を亀山といいます。わざわざ名前までもらってくるほどの宇佐宮の分社なら後回しでよいだろう、と、これまでお参りしませんでした。
「世界一のふくの像」というでかい看板も、どうもミーハーぽくて敬遠していたというところもありました。
今回、訪れる気になったのは、熊鷹稲荷神社というのがあると知ったのが理由でした。
海に面したほうが正面参道なのですが、桃太郎うどん本店で食事をしてからお参りした都合上、裏手の車道から神社に入りました。石段をあがるのが年齢的につらい、というのもあります。
車道側から神社に入ると、海をバックに世界一のふくのオブジェがお出迎えしてくれます。
境内はどこも綺麗に整備されており、とても明るい雰囲気があります。
石段に、赤貧の祖父と同姓同名のかたの名前が彫られており、少々驚きました。
社殿も鉄筋コンクリートで出来ており……。
驚いたことに、御神紋は木瓜紋です。
御祭神を確認すると、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇となっています。
宇佐宮は、応神天皇(八幡大神)、比売大神(宗像三女神)、神功皇后ですから、石清水に宇佐宮を勧請する途上というわりには、祭神が異なっています。
しかも、木瓜紋ですから、玉垂宮です。
これはどうしたことかと考えてしまいました。
たしかに、宇佐宮から石清水は勧請されたというわりには、経緯に謎が多いのには気づいていました。宇佐宮にはお稲荷さんも高良社もありませんが、なぜか石清水にはあります。宇佐宮が必死になって上書きしたものを、復活させているのです。
摂社は、宮地嶽神社と熊鷹稲荷神社の2社、あと、写真はありませんがお亀明神社と恵比須社があります。
宮地嶽神社もまた、玉垂命と縁がある神社ですのでこれはすごいと思ったのですが、どうやらこちらは1866年に地元有志により勧請されたものとのことで、直接、本社の御祭神とは関係がないようです。
ただ、これだけの宮地嶽神社を勧請してくるほどの信仰圏という点は、考慮しておいて良いと思います。
どうやら元は玉垂宮で間違いないようです。
(つづく)