松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

植物地雷源への帰郷

神社めぐりのために峠道を走っていると、大雨で山崩れが起き、杉や檜がひょろりと伸びた姿を見せる行造林・人工林をよくみかけます。車を停めて現地を歩いてみると、間伐が出来ていないせいか、地面に日が差さず、すっかり荒れているところがほとんどです。

たまに木を運び出す現場を見かけますが、たいていは災害復旧事業の工事車両がとおるための道路をつくっています。
 
戦時中、空襲が激化し大都市部は丸焼けになりました。木材需要がひっ迫し高値で売れたことから、「子孫に財を残す」つもりで、雑木林を切って、杉や檜をみんなで植林した時代があります。

杉には形質があり、推奨品種は苗木を買って植えつけます。

苗木は挿し木から育てたものでした。挿し木をすれば、よい形質をもった杉のクローンを大量増殖できます。
 
それから30年ほど経って、実際に商品として出荷できるころには、時代が激変していました。まず、都市部は、鉄筋コンクリート製の建物だらけになりました。とにかく狭い地域に大量の人間が住むためには、縦に家を積み上げなければ、土地が足りません。マンションがどんどん建ちました。木造建築の高層マンションなんて聞いたことがありませんし、法令上おそらく無理なのでしょう(外国では集成材で10階建て以上のものがあるようです)。

いきおい、戸建て需要しかなくなってしまうのですが、その戸建ても、大工が現地で木材を加工して建てるものではなく、プレカット工場で輸入木材でつくった集成材を切って現地で組み立てるものとなり、国産材は売れないものとなってしまいました。

赤貧が中学や高校のころ、国産材で集成材をつくる試みもはじまりました。現在でも価格面で競争が激しく、国産材の使用率は3割程度で頭打ちだったはずです。赤貧が最後に調べたのは4,5年前ですから、もう少し伸びている可能性はありますが。
 
子供のころ、曽祖父が「あの山の木を売って(おじ)を東京外国語学校にやった。(曽祖父の弟)を中央大学にやった……」と指をさしながら自慢していたのをおぼえています。また、地元の集会所の落成式で、当時の町議が「どことどこの山の木を売った金で建てた」とあいさつしていました。当時はまだぎりぎり、山がカネになった時代だったのです。
 
そんな時代は過去のものとなり、売れない杉や檜は山に放置され、花粉症で国民の健康を害する存在となっていました。ただ、健康を害したとしても、それで命をとられるわけではありません。医療費がかかったとしても、それで身代を潰すほどのものとも思えません。或る意味、しょうがないとあきらめがつく程度のものでした。
 
ところが、大雨で山が崩落し、行造林や人工林が流木となって人々を殺し、生活を破壊する姿をみてしまうと、もう放置されている行造林や人工林を仕方がない存在とは、とうてい思えなくなりました。

適期を過ぎても売れないから放置されている杉は、挿し木から育てた苗を植えたものばかりです。挿し木で増えた苗は、実生より根が弱いのは、多少でも園芸をかじった人間ならわかること。

それを間引きもろくにできない環境でひょろっと育てたのだから、山に地雷が埋まっているのと同じです。

しかも、赤貧が峠道を利用していて見かけるのは、どこの斜面も相当立派に育ったものばかり。結果として密植となり根が浅くて上背がある、おそらく1t近くあるだろうものが、たっぷりとまだ残っています。

大雨が降って山崩れを起こせばふもとを襲う植物地雷です。

いつ襲うかわからない、凶器です。

公害です。

その危険性を考えれば、さっさと過去の失敗を自己批判して、杉と檜を伐採し、逆ザヤでも市場で消化してもらってどうにか整理しなければ、えらいことになります。
 
赤貧のような者でも、「そんなところには住めない」とわかる話です。ところが、これだけ毎年どこかで「数十年に一度の雨」が降り、流木でひとが殺され、生活を破壊されているのに、なぜか、押し流された故郷に「帰りたい!帰せ!」と災害復旧工事を求めるひとがいます。山にまだあれだけ植物地雷があって、何年後にまた「数十年に一度の大雨」がくるかもわからないのに、戻りたがるひとがいるのです。
 
一部でも崩落すれば、そこからあらたな水路が出来ます。皮の一部がめくれたのと一緒で、次はその近くから水が染みこみべろりと剥げ落ち、流木が襲います。雨を狙い撃ちで降らせる(or回避する)技術なぞありませんから、ロシアンルーレットをしながら暮らすようなものです。
 
田舎に帰りたいという郷愁はわかりますが、命と引き換えにするようなものでしょうか。
 
被災された老齢のかたにこの話をして、「大人しく娘や息子のところに引っ越して世話になれ」と提案すると、脳天に血がのぼりすぎて言葉が言葉にならないうめき声かわめき声をあげるかたがけっこう居ます。

いちどは呑み屋で食べかけの親子丼をぶつけられたこともあります。

しかも、そういうかたは、2012年7月の九州北部豪雨でも、それなりに危険なメにあったかたばかりだったりします。一度は生活に被害をうけ、その5年後に、今度は田畑どころか家が壊れるメにあっても……。

人間というのはそういうものなのか、それとも赤貧が薄情なのか。

なぜ、帰郷したがるのか。たかが法面の工事をして橋を掛けかえたところで、なにも変わらないのに。あれだけ山がズッた跡だらけなのを見て、どうして帰りたがるのか。

どこに行ってもろくに手入れされていない山だらけなのを眺めながら、ふと、思い出したので書いてみました。
 
100年200年のスパンでみれば、どこもかしこも崩落して住む人はいなくなり、竹林に侵食されて朽ちるか、雑木林に負けて自然を取り戻すかしていくのでしょう。

そこに至るまでに、どれだけ殺されて、生活を奪われれば済むのでしょうか。どうも世の中というのは、行きつくところまで行かないと戻れないもののようです。まさかそれが国の狙いということは、ないでしょうが。

(2019.07.11記述)