今回、初めて訪ねることができました。同じ一宮でも、真清田神社とは雰囲気がまったく異なります。どうしてもこうも異なるのかと考えていると、ヒントがありました。
亀甲紋です。亀甲紋は、大己貴時代には使いません。大国主となって使いはじめます。
つまり、真清田神社で祀られている大己貴と砥鹿神社で祀られている大己貴には、数十年くらいのひらきがあるのです。
もしかすると、死後、大国主となって、彼が率いた集団が三河に入植してきたのかもしれません。
「日本一大きいさざれ石」というのがありました。子孫繁栄祈願をするところらしいのですが、近づいてみると、小銭だらけです。豊川稲荷の狐塚と勘違いしているのか、お賽銭の奉納のしかたとして定着しているのか、よくわかりません。赤貧も、10円玉をお供えしました。
JRの駅に戻ろうと歩いていて、ふと近所の表札をみて、目を疑いました。なんと「冨安」姓です。
「冨安」姓で有名なのは、花の露の冨安本家酒造でしょうか。とにかく久留米や県南でしか見かけない苗字のイメージがありすぎて、卒倒しそうになりました。
西鉄電車は無人駅でもICカードの読取機が設置されているため、乗車証明書すら見当たらない駅で現金を握りしめて列車を待つのは、十数年ぶりでした。名古屋より浜松のほうが運賃が安いエリアなのですね……。
もっと、久留米に特有の姓氏を調べて、電話帳データと照合させてみれば、いろいろとわかるかもしれません。しかし、それにしてもはるばるここまでやってきた人々の心境は、いかばかりだったのでしょうか。
(2019.06.14訪問)