美風庵だより

幻の花散りぬ一輪冬日の中

朝倉市菩提寺 金刀比羅神社

goo.gl1943年発行の福岡県神社誌によれば、赤貧の自宅からほど近い朝倉市菩提寺には、5つの神社があるとされています。

白鬚神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字古寺
天満宮 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑
大三輪神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑
宮地嶽神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑
田神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑

ところが、不思議なことに大三輪神社を見つけることができません。その代わりに、この地には何度もこの日記に登場した金刀比羅神社があります。

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同じ小字ですが、菅公を祀る天満宮だけ、離れた場所にあります。数珠を持つ菅公のよこに、どこかで紛れ込んだとおぼしき人形があります。さいきん神社めぐりをするようになって気づいたのですが、意外と仏像が御神体の神社や祠がよくあります。この菅公も、数珠をもっていてその延長で考えたほうがよいかもしれません。

天神社 〒838-0061 福岡県朝倉市菩提寺 https://goo.gl/maps/BjTNFTdDBqgT53kE8

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金刀比羅神社と扁額がかかっている明治29年の鳥居です。福岡県神社誌よりもずっと前から、ここに金刀比羅神社はあったのです。

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何回も見た案内板です。これを読むかぎり、秋月藩黒田長興公の時代から在るようにみえてしまいます。

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鳥居のすぐ左脇に「田神社」があります。州浜紋の神殿のなかには「タノカンサー」がおられます。

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鳥居の右脇には淡島大明神がおられます。御神体は、石です。

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さらに進むと、宮地嶽三社大明神が鎮座しています。神功皇后、勝頼大神、勝村大神は、一体の石としてお祀りされているようです。

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宮地嶽神社の反対側に位置するのが、この白髪(しらが)神社です。神社誌では「白鬚(しらひげ)神社」となっており、白鬚神社は荒神様をお祀りする神社ですが、この白髪神社はたぶん誤記ではないでしょうか……。

 

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石段を一番上まであがると金刀比羅神社に出ます。

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社殿をじっくりと眺めていて気づいたのですが、金刀比羅神社というわりには、三つ巴紋が至る所にあります。これは、近くの大己貴神社同様、大国主を祀る神社ではないのか……。

そう考えると、ここが福岡県神社誌のいう大三輪神社で間違いなさそうです。おそらく黒田長興公の伝承があって地元では金刀比羅神社と呼ばれていたけれど、なにかの事情で大三輪神社と公式には届け出ていたのでしょう。

御祭神が大物主と大国主(大己貴)となっている点も、そのことを示していると思われます。

田神社の「たのかんさー」は、大国主と大幡主を混同したものという説があり、淡嶋神社大国主のもとを去り淡嶋に向かった(=要はあの世へ行った)事代主を祀る神社です。

そもそも大物主(大山咋)は、事代主が死に「これからどうやって一人でやっていこうか」と思い悩んでいた大国主のもとに現れ、彼を手伝ったた神様とされています。金刀比羅宮の御祭神とされています。要は、二重に大国主のご縁があるように祀っているわけで、そこまで考えて江戸時代に金刀比羅宮を勧請したのであれば、黒田公(とその家臣)はさすがだと思ってしまいます。

(2019.06.05訪問)