松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

ネットの奇習?

先日教えてもらって知ったのだが、
厄年の男に「長い物」「うろこ状の物」を贈るとよい
という奇習が、インターネットでまことしやかに言われているのだそうだ。実際、google先生で検索してみると、たしかにひっかかる。
どれもたいした由来は書かれていない。
「長寿を願う」とか「龍神様の御加護をいただく」とか、そういうどうにでも書けるような理由がさらりとついてくるだけ。笑ってしまうくらい似ているから、どうせどっかの占い師かなにかが書いたものが原型だろう。コピペされつつ増殖した感じである。SEO対策だけ考慮した書き散らかしサイトは、これだから始末におえない。
 
むろん、日本はひろいから、世の中のどこかにはそういう風習があるのかもしれない。ただ、どうもこればかりは半可通の知ったかぶりが書いたものが独り歩きした匂いしかしないのだ。
 
赤貧社長の知っている範囲で言うと、江戸時代に博多や江戸で、男がわざと赤いフンドシを街中に落としてくるという風習はあった。
 
身に付けているものをわざと落としてくる。自らの分身を捨てることで、厄を落としてくるのである。節分の前夜のうちに、ひとに見られないようにして、捨ててくるとよいとされた。または、氏神様にお参りした帰りに落としてくるとよいとされた。
 
これはひとに見られてはいけなかっただけではなく、自分自身も後ろを振り返ってはいけなかった。似たような話はほかにもある。東北では、自分の齢の数の豆を、村境にわざとまいてくるという風習があったり、小銭をわざと捨ててくる風習があった。いずれも、自分の分身を捨てて、厄落としをするわけである。
 
まず、「長い物」というのは、この赤フンドシの言い伝えが曲解されたものとみて、間違いないだろう。
 
ほかにも、地域によって違うが2月1日や節分といった日に家族・友人・知人をまねいて宴会をしたり、自らがついた餅を配ったりという風習もあった。有難迷惑な話だけれど、厄を他人にも押しつけて、肩代わりしてもらうのである。
 
男は厄を「捨てる、落とす、押しつける」が、厄落としの基本だったのだ。
 
では、女はどうか。
 
江戸時代、博多の中心部では、鶴や亀(亀甲紋)、うろこ紋(鱗紋)の入った着物、帯、下着を身に付けて、厄年の厄を寄せ付けないようにする風習があった。もしかすると全国的なものだったのかもしれないが、そこまではわからない。
 

「うろこ状の物」というのは、とくに鱗紋の帯が好まれたことからきた連想だろう。鱗紋とうろこ状では大違いなのだが、鱗紋の実物を知らなければ、文字だけ見て曲解してしまう可能性はある。写真のような、三角形の組み合わせを鱗紋と言うのだが、たぶん、知らないはずである。
 
男と違い、女は厄を「寄せ付けない・身を守る」が基本だった。
 
ありていに言えば、このあたりの話が、ごっちゃになって曲解された俗信だろう。素人がこういう意図的な曲解をするはずがないので、なにか金儲けのネタが欲しい占い師などのたぐいが、ある程度調べて、わかったうえで書き散らかしたものが原型にちがいない。
 
だから、なおのことたちが悪いし、腹もたつのだ。目立ちさえすればよいクズが多すぎる。

 
ただ、この話が困るのは、「長い物」と「うろこ状」という連想から、一歩進んで「ベルト」や「長財布」を贈るとよいという奇習に変貌してしまっていること。
 
さきほども書いたとおり、男の厄落としの基本は、「捨てる、落とす、押しつける」である。
 
ベルトを外で落とせば、ズボンがずりおちる。
長財布を外で落とせば、一文無しになりかねない。
 
身代わりに、安易に捨てられるものではない。
 
かといって、ズボンの下では、赤フンドシをつけても落とすこともできない。昔の袴姿や着流しだからできたことである。
 
どうしてもなにかやらないと気が済まないというのであれば、安く済むぶんだけましだから、年齢の数だけ豆をプレゼントするのはどうだろうか。ついでに、じぶんが住んでいる地区の境(町内会とか、市町村境とか)にひとに見られぬように捨ててくるという昔のおまじないを教えてあげるといいだろう。
 
または、むかしの風習について書かれた本はいくらでもあるから、それを見せつけながら「厄年の男は、大盤振る舞いしてまわりに厄を肩代わりしてもらってたらしい!」とごはんをたかることである。
 
こちらのほうが、よりむかしの風習に近い。