正直このひとの言わんとしてることは理想としてわからんでもなかったんだよな。
ただ、いろんなものをぶち壊して一からやり直すには、あまりに非力というか、支持基盤が支持基盤だから完全に腸捻転だしな。
しかも辺野古の件、あれって自民党政権でも10年きっちり片付けきれなかった問題なわけでね。
「最低でも県外」って言えば、10年くらい前にいろいろ、佐世保に近い某飛行場をよこせとか、話があったのを覚えてる側としては、なんか腹案があるんだろうと思ってたら、「言いっぱなしですたごめんちゃーい(´▽`*)」だもんな。そら支持率おちるよ。
ただ、一つだけ今日おもったのはね。
東アジア共同体、って簡単に使うのはどうかな、と。
ことば、歴史、文化いろんなものが違うわけで、そういうなかで、なにを共通項として認め、「共同体」を名乗るのか。
昔、「西洋は行き詰っている、これからは東洋の時代だ。そのなかでも西洋と東洋の両方を取り入れ、止揚できるのは日本しかない」と「近代の超克」を唱えた時代があってだね。なんかそういう、観念と理念だけで現実がまったくついていかない議論やってもしかたないと思うんだけどな。
ヨーロッパがEUでやってけるのは、結局のところ侵略したりされたりの歴史のなかで、アメリカという新興国家に対抗するための対抗軸なわけで、そういう対抗軸がこの東アジアでやれるのかと言われたら、きついだろうな、と思うしね。
そういう意味で、ぽっぽはおそらくなんも考えてない気がする。
八紘一宇とか大東亜共栄圏ってなんだったのか、も少しいうと、そのバックボーンとしての「近代の超克」の意味を考えたほうがいいとおもうんだ。
おぢさん酔っててすみませんね。
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