松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

石井妙子「女帝 小池百合子」(文芸春秋、2020)

女帝 小池百合子 (文春e-book)

女帝 小池百合子 (文春e-book)

 

後半になって、この本を書いた動機が明かされます。

大手マスゴミは、「カイロ大学が公式に卒業を認定しているのだから、いまさら掘り返してもしょうがない」とだんまりを決め込み、(軍事政権下のトルコで)事実を知る者が、身の危険を感じながらおびえて暮らす状況に対しての異議申し立てであることを。

最初から悪意たっぷりの書きぶりで、読みはじめは当惑しました。

途中から、著者が「女を武器にしてきた語るに落ちる存在」として小池氏をみていることに気づき、その立ち位置を共感できるようになると、一気に読めるようになります。

言っている中身は空疎、そして二転三転。どこに真実があるのかわからない、考えた形跡もない。すべて風だのみ。

首相は与党内部の力関係で選ばれますが、都知事は住民の直接選挙で選ばれ「風」に左右されます。
この傾向はべつにここ最近の話ではなく、記憶にある範囲でいけば、まず、青島幸男氏がそうでした。都市博中止以外の目玉がなく4年で青島氏が退任し、次は石原慎太郎氏が都知事に。その後、猪瀬直樹氏、舛添要一氏ときて、小池氏まで、イメージでスタアを選ぶのが、すっかり定着しています。

しかし、イメージ戦略だけで中身が追いつかなくても政界を泳ぎまわり、とうとう都知事の椅子をつかんだ才覚は、これはこれで天才というほかありません。

石井氏のこの著作で、身の危険を感じながら暮らす状況から、小池氏の元ルームメイトの女性は抜け出せるでしょうか。

「事実無根ならなぜ訴えないのか」とこの著作がでた当初、ネットで評判になっていました。世の中、なんでもかんでも訴えればよいというものでもありません。触れられたくない部分もいっしょに注目を受けることになって、必要以上に返り血を浴びる可能性があります。読む前は、利益衡量の結果、小池氏とその周囲は訴えない道を選んだのだろうと、思っていました。
読み終えてみると、この解釈は誤っていることを認めざるをえません。

無視するよりほかないのです。

アザと病と英語 『女帝 小池百合子』の違和感|高井浩章|note

取材者(トルコ在住の元ルームメイトや、築地女将の会関係者など)に対する、石井氏の成りきりと言ってもよい(ある意味では過度の)共感が根底にあることに気づかないと、おそらく似たような感想を抱いた気がします。両者を均等に眺めて書く姿勢は最初から放棄しているわけで、そういう意味で「ノンフィクション」を考えているなら、これは、まったくほど遠い「物語」です。石井氏も、それでよいと考えているのではないか?そんな気すらしてきます。

田川郡添田町添田 白山社(白山宮・白山神社)


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添田神社の隣に鎮座しています。

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添田町歴史的風致維持向上計画について | 添田町

白山神社は『白山神社縁起』によると昔、新羅国曽褒里から3神が岩石山にやって来て、岩石山に草木が生えるようにした。その後、吾勝尊(天忍骨尊) が天降ったという。保元3(1158)年に平清盛の家臣の大庭景親が岩石城を築城した折、豊比咩神社と曽褒里宮を合わせて白山明神を興して岩石山西麓に白山権現社を移した。その後宮崎家が代々宮柱家として造営してきた。
(「第2章 添田町の維持向上すべき歴史的風致」80ページ)

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朝鮮から3人の神様が渡ってきてこの地を開拓し、その後、天之忍穂耳が天下ったという伝承をしっかりと記録に残した添田町教育委員会の姿勢は素晴らしいものです。いまの神社本庁なら抹消を指示するでしょう。少なくとも神社本庁支配下で資格をとった者なら「忖度」して率先して無視しかねません(もしくは国つ神と一段おとしめて扱うでしょう)。

では、この3人の神様は朝鮮人だったのか?私はそうは考えていません。

天照大神スサノオが喧嘩して新羅のソシモリに一時逃亡した話は、記紀にも記されていることです。濃厚な往来があって、ある特定の過程だけが記録されたのだと考えています。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Migration_map_of_Y-DNA_haplogroups_in_East_Asia.png

Y染色体ハプログループの分布 (東アジア) - Wikipedia

私達の御先祖は、様々なルートから日本に移住してきました。

大昔はいまよりもはるかに経由地との交流は濃密であったはずです。半島と九州を行き来しながら、各地を開拓していったのでしょう。その痕跡は、田川郡香春町の香春神社にもあるのですが、いずれこの「神社めぐり」シリーズで取り上げることもあろうかと思います。

どうも伝承は、朝鮮と往来して活躍していた3人の神様をイザナギイザナミ、天之忍穂耳(英彦山)とすり替えているようです。白山宮と名乗りながら、実質的に英彦山神宮だとしているのです。

過去に、御祭神だけでもごまかさないとつぶされる時代があったのでしょう。

実際には、天之御中主や大幡主の一統だったのではないでしょうか。

ひとつ気になるのは「豊比咩神社」があったという記載です。

久留米市北野町大城 豊姫神社(豊比咩神社) 再訪 - 美風庵だより

豊比咩神社が筑後のどこに在ったのか、これまでにもいろいろと書いてきました。

その豊比咩神社がなんと添田の地にあったとは……。考えてみれば父親の豊玉彦豊前坊高住神社をはじめ各地にお祀りされているし、旦那の猿田彦(山幸彦)も筑後平野だけでなくこの田川の地にも濃厚に痕跡を残しているわけですから、ここが仮に生地であってもおかしくはないわけです。その後、田心姫として久留米市北野町大城に拠点を移したと考えてもよいのかもしれません。

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福岡県神社誌:下巻455頁
[社名(御祭神)]白山社(伊弉諾命、伊弉冉命、天之忍穂耳尊、猿田彦命
[社格]無格社
[住所]田川郡添田町大字添田字権現森
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.06.20訪問)