美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

久留米市山川町 山川護国神社(山川招魂社)


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福岡県神社誌では山川護国神社とありますが、現地の扁額は「山川招魂社」です。
招魂社と言ってもピンと来ないかたもおられるはずなので、wikiの一部を引用します。

招魂社 - Wikipedia

招魂社(しょうこんしゃ)は明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した死者を奉祀した各地の神社。
(略)
1863年文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した[1]。櫻山招魂場は、その後の四境戦争、戊辰戦争戦没者を始め、吉田松陰久坂玄瑞といった倒幕と維新のために尽力した志士を合祀している[1]。
生前の身分に関わらず個々の戦没者を隠り身として祀る招魂社の発想は、その後全国に広がった[1]。 東京招魂社は1879年(明治12年)に明治天皇命名により靖国神社と改称、地方の主な招魂社は1939年(昭和14年護国神社と改称している。

御井町誌 第一章 現 代 の 語 部 1-2

招魂社
尊王の同志を募り、志半ばにして久留米で切腹をした高山彦九郎、同じく勤皇倒幕を唱え、ついに元治元年(一八六四)七月蛤御門の変に敗れ、京都府下天王山で自刃した水天宮祠官、真木和泉守。それに明治維新前後に斃れた久留米藩士三十余人。これらの霊を弔うため、明治三年二月、旧久留米藩主有馬頼咸公が、山川村旗崎の地、すなわち茶臼山の松林の中に祀られたのが招魂社である。
明治六年八月には、地方官民有志が協力して山上に一社殿を建て、御楯神社と称した。それ以来この地は陸軍墓地となり、明治七年佐賀の乱をはじめ、その後の戦役において戦死した人達の眠る霊地となったのである。
毎年十月二十日には招魂祭が催される。

今回も「御井町誌」から引用しました。昭和18年(1943年)に福岡県護国神社が設立されるまで、福岡県内には旧藩単位で複数の護国神社がありました。ここは、久留米藩主有馬公が創建した護国神社です。

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ゼンリンの地図を見て、ほぼ感覚的に良山中学校の校舎裏手から入ってしまいましたが、どうやらこちらは裏参道とでも言うべきものだったようです。石段の脇に、御井町誌でいう陸軍墓地?があります。殉職した警察官の墓碑もあり、必ずしも陸軍とは限らないようです。

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爆弾三勇士 - Wikipedia

第一次上海事変中の1932年(昭和7年)2月22日、日本軍が蔡廷?率いる国民革命軍19路軍が上海郊外(現在は上海市宝山区)の廟行鎮に築いたトーチカと鉄条網とクリークで守られた敵陣へ突入するため、鉄条網を破壊する作戦が決定される。この作戦に約36名が志願し、前述の3名が選ばれ、突撃路を築くため点火した破壊筒を持って敵陣に突入爆破。自らも爆発に巻き込まれて3人は戦死したが、鉄条網の破壊には成功した。戦闘工兵の任務の中でも非常に危険性が高いものではあるが、必死の作戦ではなかった[1]。
(略)
3名は戦死後それぞれ二階級特進して、陸軍伍長となる[注釈 1]。事件の直後2月24日には『東京朝日新聞』で「「帝国万歳」と叫んで吾身は木端微塵」、25日に『西部毎日新聞』で「忠烈まさに粉骨砕身」、『大阪朝日新聞』で「葉隠れ主義の露堂々」など、美談として広く報道され反響をよび、壮烈無比の勇士としてその武功を称えられた。軍国熱も高まり映画や歌にもなり、陸軍始まって以来ともいわれる弔慰金が集まった。

(略)

教科書で取り上げるべしという意見も多く挙がり、1941年から45年までの初等国語科と唱歌教材[9]に取り上げられた。

私の祖母も祖父も大正生まれだったためか、私が軟弱者であると思えば必ず説教に爆弾三勇士の話が出てきたものです。

我等が上に戴(いただ)くは
天皇陛下の大御稜威(おおみいつ)
後に負うは国民の
意志に代われる重き任(にん)

いざ此の時ぞ堂々と
父祖の歴史に鍛えたる
鉄より剛(かた)き「忠勇」の
日本男子を顕(あらわ)すは


爆弾三勇士の歌 (歌詞改訂前)

小学生の前で歌われても言葉の意味すらわからなかったのですが、「爆弾三勇士の歌」の歌詞をあらためて読むと、すごいですね……。 

しかも、与謝野鉄幹ですこれ。

福岡県神社誌:下巻340頁
[社名(御祭神)]山川護国神社( )
[社格]護国神社
[住所]三井郡山川村茶臼山
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2020.11.28訪問)