松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年3月23日(土)の日録。

とうとうインスリン生産牛まで登場。

糖の代謝を調整する機能を持つインスリンは、糖尿病の患者が血糖値をコントロールする上で重要ですが、アメリカなどでは価格の高騰により入手が困難になり、インスリンの自作を目指す人まで出ています。そんなインスリンを含むミルクを、安価かつ大量に生産することができる遺伝子組み換え牛が誕生したことが、報告されました。 

(略)

記事作成時点で現行の注射用インスリンは、ヒトインスリン遺伝子をバクテリアのDNAに組み込むことで生産されており、大きなタンクで培養された細菌が合成したインスリンを精製して製剤にしています。
今回、アメリカのイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のマシュー・B・ウィーラー氏らの研究チームは、プロインスリンをコードするヒトのDNAを牛の胚の細胞に導入して普通の牛の子宮に移植し、トランスジェニック子牛を誕生させました。

遺伝子組み換え牛で「インスリン入り牛乳」が生産可能に、インスリンが安価に製造できるようになる可能性 - GIGAZINE

牛の遺伝子組み換えでインスリン牛乳が生産できるのであれば、そのうちなにかの臓器を移植したらインスリン出しまくりとかいう状況もありうるかもしれません。

ただ、そこまでして長生きしたいか?という別の問題も発生する可能性はあります。

この辺りは、今後この研究の進展次第なので、まだいまはそこまで考える必要はないのかもしれませんが……。

 

23日の記録。

今日は雨天のため高良山には行きませんし、知人事務所の用件もありません。

冷蔵庫で冷凍しっぱなしだった赤センマイ(牛の胃袋)を酒と塩で炒め、玉ねぎやしめじを加えてカレーにします。その隣ではスパゲティを茹でます。

朝昼兼用でカレースパゲティをいただきました。

午後から急用があり出かけました。足元をやたらと後ろからつつく鳥があり振り向くと、オスのキジでした。近所のかたの話では、最近100羽放鳥されたらしく、道の反対にある田んぼを拠点にしているそうです。ただ、このオスキジが自分の「縄張り」だと思い込んでいるエリアは相当ひろいようで、こうやって近隣の家の庭に来ては、宅急便のスタッフさんだろうと私だろうとその家の住人だろうと、くちばしでつつきます。

「きさん、今度やったら蹴飛ばすぞ」と言いながらにらむと、しっかりメンチを切ってにらみ返してきます。

このオスキジなにがすごいかと言うと、私がごあいさつを終えてその家の玄関を出たら、私とメンチの切りあいをした姿勢のまま、このiPhoneで撮った画像のとおり玄関で待っていたことです。

この負けん気、人間ならめちゃくちゃ出世したでしょうね。

もったいない。

 

離壇はどうしても揉めやすい。

墓じまいで30万円という煩悩 - 死体を愛する小娘社長の日記

この日記を読んでいて、ふと思いだしたことを。

むかしは離壇料という言葉を聞くことすらなかった気がします。まだ昭和のころに子に引き取られて都会に移住した近所のかたも、墓石屋とかに撤去費用を払っただけでした。

人口減少が本格化するのは平成になってからで、まだ昭和は空いてもすぐに次が埋まる時代だったためです。寺をすっとばして納骨堂や墓地の権利を当事者同士がカネで売り買い(10~20万円くらい)しているのを目撃したことがあります。

そのお寺さんは実家の納骨堂があるお寺さんでしたが、江戸時代よりも前からあるところでした。檀家数も地域では群を抜いていたため、多少歯抜けがあっても財政上問題がなかったこともあるかもしれません。

近所にはその寺以外に、明治になって独立した寺の檀家になっている家もありました。要は、本家筋がはいっているその寺の墓地に空きがなく、新しい寺が出来たとき分家さんがそこに墓地や納骨堂をつくったわけです。その明治創建の寺は、私が実家住みだったころ、檀家は30軒そこそこだったかと思います。

こういうところは離壇なんかされたら死活問題のため、揉めます。

傍目からみていると年がら年中いろいろ行事があってお仲間で結束してるなぁ、グランドゴルフ大会の打ち上げで堂々と肉焼いてるしすげぇなぁ、いいなあ自由で、と思い祖母にその話をすると「とんでもない!」とにらまれました。

我が家の場合、本家筋といっしょに檀家がいっぱいあるお寺に墓地と納骨堂を借りているので年間1万円の上納ですむが、「あそこの寺は月に1万納骨堂の修理代に1軒200万も出せとか言ってる。いきがるばかりでカネの計算もできない先祖がおるとホント哀れなもんよ(=変わったことをしたがるばかりで、あとでいくら盗られるか考えたらわかりそうなものなのに大きい寺の墓地が空くまで待てない馬鹿を先祖に持つとたいへん)」と吐き棄てます。

私が大学生のころ、明治創建の寺のある檀家さんが「子供の招きに応じて田舎を離れたい納骨堂も整理したい」と申し出たら「まず、に借りてくれるひとをお前がさがしてから出直せ」と言われたとのこと。そのことが漏れつたわってその寺の檀家同士のなかでもひと悶着あったようです。将来子供の世話になって田舎を離れようとすれば、同じ目に遭いますから、見過ごすわけにはいきません。

離壇の問題は、寺の規模だったりの問題でもあるし、いよいよ無住となって寺そのものが檀家の共有物件となり納骨堂と墓地を集団管理しているケースもありますから(要は、明治以前から地域にある共有墓地と同じ扱い)、なかなか難しい話です。

私個人は散骨してくれと希望を周囲につたえ、遺言書と死因贈与契約の準備をしていますが、なかなか墓をつくらない、という主張は理解されにくい面があります。

拝む目印はなんでもよいわけです。敢えて墓である必要はありません。

そう思うのですが、やはり墓石屋と組んで一世を風靡したH木K子の影響は大きく、祖先を大事にする=立派な墓を建てるだと刷り込まれているひとの多いこと多いこと……。

私の従姉なんかいまだに六星占術の本まいとし買ってますからね。

どうしょうもありません。