松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区井尻4丁目 宝満神社(平原宝満神社)


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この宝満神社のある辺りは、1954年に福岡市に編入されるまで、筑紫郡曰佐村(おさむら)といいました。

3160 村社 寶満宮 筑紫郡曰佐村大字横手字宮ノ後
3161 村社 寶満神社 筑紫郡曰佐村大字横手字松葉

福岡県神社誌には、曰佐村大字横手に宝満宮が2社あったと記されています。今昔マップなどをみれば、この神社があった場所が曰佐村だったことはわかるのですが、どっちがどっちか、境内社や御祭神で比定しています。間違っているかもしれません。

神木化石
延和五年(西暦一七六七年)の寶満神社創建時に神木化石として埋納されたものと推察される。
平成九年(西暦一九九七年)の寶満神社再建時に神殿の下より三個出土され、一個は再び神殿の下に埋納する。
(注釈)この神木は、約二万年から八万年前におこった阿蘇大噴火により樹木が焼け化石となったものと推定される。
(福岡市教育委員会)

平原寶満神社

鎮座地
福岡市南区井尻四丁目二十三番六号

御祭神
玉依姫命 応神天皇 神功皇后

霊験
縁結び(親子の縁、夫婦の縁、友達の縁、仕事の縁など)、安産、雨乞い、方除け、交通、航海安全

由緒
延宝五年(一六七七年)氏神建立 筑紫国惣鎮守寶満宮竈門神社の御祭神玉依姫命を勧請して祀りました。玉依姫神武天皇の御母君で、四柱の御子の教養と建国の大業に心をくだかれ竈門山(寶満山)にお登りになり、祈念されました。寶満山は、神の山と崇められ、玉依姫の御慈愛は永久に国を潤し、国民をはぐくみ育てておられます。

例祭日
 ●一月一日 新年の祭り
 ●四月中旬 春祭り(厄落とし)
 ●十月中旬 秋祭り(おくんち)
平成十年十一月吉日 

じっさいにガラス越しに拝殿内を拝謁させていただくと、向かって左側に春日大明神・右側に大神宮とあり、宝満宮だけが祀られているわけではないようです。

境内には、弁財天も祀られています。

拝殿正面に、立派な扁額が奉納されているのですが、いたずら防止のためか、金網でしっかり保護されています。

神社よりも気になったのは、「平原開祖 ●●家之碑」で、この地を開拓した一族を祀る石碑なのでしょうが、残念なことに文字が読めません。草書ってむつかしいですね。

福岡県神社誌:中巻54頁
[社名(御祭神)]寶満神社(応神天皇、玉依姫命、神功皇后、天児屋根命、建御雷命、斎主命、天照大御神)
[社格]村社
[住所]筑紫郡曰佐村大字横手字松葉
[由緒]不詳、昭和十年五月十四日村社に列せらる。
[境内社(御祭神)]背振神社(市杵島姫命、田心姫神、湍津姫命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.06訪問)