松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

佐賀県佐賀市東佐賀町 牛嶋天満宮


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現地の看板は「牛嶋」となっていますが、佐賀市のホームページでは「牛島」です。

鍋島勝茂公が寄進した、いわゆる肥前鳥居です。どっしりしていますね。

牛島天満宮 - さがの歴史・文化お宝帳

牛島天満宮は、仁平元年(1151)道真公から第16代目に当たる、菅原教正が巨勢郷牛島村に社を創建したしたことに始まっている。牛島天満宮の境内には、樹齢千年といわれ佐賀市天然記念物に指定された楠の大樹がある。このほか石造りの肥前鳥居や、太宰府から分芽した飛び梅や古い石橋がある。また、金刀比羅神社や石造物の庚申塔、猿田彦大神、招福神の稲荷大明神等数多くの石造物があって、石造物文化財を研究する上からは、大変興味深い存在である。

慶長年間(1596-1615)の佐賀城下建設に際し、鬼門鎮護のため旧蓮池町牛島から鍋島勝茂によって遷座されたもので、境内入口に建つ肥前鳥居には勝茂の名前が刻まれています。

牛島村はおおよそ青い四角の位置にあり、佐賀城からみて北東に沿うよう、天満宮を移転させたのでしょう。

境内にお稲荷さんや白太夫社があります。

この牛嶋天満宮では白太夫社の御祭神を渡会春彦公としています。

渡会春彦 - Wikipedia

その後934年(承平3年)11月20日に禰宜職を長男晨晴(あきはる)に譲り、946年(天慶9年)1月7日に死去した。
また、高知県高知市にある潮江天満宮の伝承では、903年(延喜3年)2月に道真が筑紫にて薨去した後、白太夫は、父に連座して土佐に配流されていた道真の長男の高視のもとへ向かい、道真が佩いていた御剣と御鏡を届け、高視がそれらを御霊代(みたましろ)として祭祀し始めたことが創建の由来とされている。また、白太夫は京都へ戻る道中の905年(延喜5年)1月9日に79歳で死去したとされている。

どうやら菅公のお世話をしていた渡会さんと、従わなかった渡会さんが居るようです。同じ人物のはずなのに、死亡年が複数あります。

菅公の伝承はどうしてもおひれがいっぱいついていることが多く、ある程度は斜に構えてながめておくにかぎります。

境内の一角に、大量の石祠や庚申塔が集められていました。宅地化にともない整理された、地域で祀られていたお宮さんたちでしょうか。

ただ、不思議なのはきちんと花が供えられているものがあることで、いまもその地域や一族の誰かが、ここに来て、お祀りをされておられるのです。すごいですね……。

御神橋の左手に、隠れるようにこんぴらさんが祀られていました。

駐車場や社務所があるほうの出入り口に、五色のハッピをまとったえびす様がおられます。まるでゴレンジャーだなとおもいつつ眺めると「満天恵比須」さまというそうです。なお、五体でひとつの「満天恵比須」さまとのことで、すべて拝んでえびす様に願掛けしたことになるそうです。

(2022.05.25訪問)