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福岡県神社誌では「高宮八幡神社」となっていますが、おそらく誤植でしょう。現地は「若宮八幡神社」と社号標にあります。また、境内にある貼り紙をみると「若宮神社」とも呼ばれているようです。
拝殿は小笠原公のおひざ元でよくみかける横長のもので、通常であれば真ん中が一段高い折り上げの格天井になっているのですが、ここは屋根を修理するさい、ほかと同じようにしてしまったようです。
小笠原藩領内でよくみる折り上げ格天井の例(画像は田川郡添田町津野(上津野)高木神社)
本殿は男千木がのっており、メインの祭神は男性であることがわかります。各所に修理の跡があるのですが、装飾はおそらく古いものからそのまま引き継いでいるようで、躍動感が違います。むかしはすごい木工細工師がいたのですね……。
それにしてもこの参道はどこに向かっているのだろうと、ふと考えました。真南ではないし……。地理院地図で方向を確認すると、筑後・久留米のほうに向かっています。
私たちはすでに同様の、堀に囲まれ、もしくは周囲から離れた「島」になっており、参道のさきは高良玉垂宮のある筑後・久留米を指す神社をほかに知っています。
福岡県神社誌では、「968年(安和元年)三月十五日、「長野臼山の頂上に品陀和気命、息長帯比賣命を勧請す。長野城主修理大夫康盛が相州鎌倉より大雀命を勧請してこれを併せて氏神」としたとありますが、実際のところは、ここは玉垂宮であり、のちに仁徳天皇を祀って若宮八幡に衣替えしたのではないか?と考えます。
おそらくここに境内社がまとめられているのですが、どの石が誰の御神体なのかまったくわからないほど、ごちゃごちゃと積み上げられていました。
福岡県神社誌:下巻164頁
[社名(御祭神)]高宮八幡神社(大雀命、品陀和気命、息長帯比賣命)
[社格]村社
[住所]企救郡曽根町大字長野字宮畑
[由緒](略)
[境内社(御祭神)]天疫神社(須佐之男命)、道祖神(猿田毘古命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.22訪問)