美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

飯塚市天道 天道神社(天道宮)


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

f:id:bifum:20201014142651j:plain

まず現地の案内板に目をとおします。

f:id:bifum:20201014142717j:plain

f:id:bifum:20201014142940j:plain
f:id:bifum:20201014142814j:plain

ここにお祀りされているのは天照大神ですが男千木です。

承平天慶の乱 - Wikipedia

天慶4年(941年)2月、純友軍の幹部藤原恒利が朝廷軍に降り、朝廷軍は純友の本拠日振島を攻め、これを破った。純友軍は西に逃れ、大宰府を攻撃して占領する。純友の弟の藤原純乗は、柳川に侵攻するが、大宰権帥橘公頼の軍に蒲池で敗れる。5月、小野好古率いる官軍が九州に到着。好古は陸路から、大蔵春実は海路から攻撃した。純友は大宰府を焼いて博多湾大蔵春実率いる官軍を迎え撃った。激戦の末に純友軍は大敗、800余艘が官軍に奪われた。純友は小舟に乗って伊予に逃れた。同年6月、純友は伊予に潜伏しているところを警固使橘遠保に捕らえられ、獄中で没した。

源満仲 - Wikipedia

清和源氏、六孫王経基の嫡男。(略)当初は都で活動する武官貴族であった。天徳4年(960年)平将門の子が入京したとの噂があり、検非違使大蔵春実らと共にこの捜索を命じられた武士の一人として現れたのが史料上の初見

源経基 - Wikipedia

天慶4年(941年)に追捕凶賊使となり、小野好古とともに藤原純友の乱の平定に向かうが、ここでも既に好古によって乱は鎮圧されており、純友の家来 桑原生行を捕らえるにとどまった。

ある程度は真実を含むのでしょうが、どうも反乱がおきた年代とズレがあるようです。

天道神社・大将陣社 平安期の古戦伝承しのぶ|発掘(ほる)ばい 九州古代ヘリテージ

大将陣山の頂上には大将陣社がある。源満仲が西麓に日天子を勧請し天道のご加護により勝利を祈願した場所とも伝えられる。

むしろ注目すべきは「日天子を勧請」という伝承のほうでしょうか。天照大神は日天「子」ではありません。日の子とは日子=彦にほかならず、それが意味するのは、(天照大神の)娘婿である天之忍穂耳(英彦山、海幸彦)のはずなのです。ここにはさきに天之忍穂耳への信仰があり、そこが決戦の舞台となったのではないかと思えます。

福岡県神社誌:下巻401頁
[社名(御祭神)]天道神社(大日孁命
[社格]無格社
[住所]嘉穂郡穂波村大字天道字下石
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2020.10.14訪問)