生活困窮者です。
起床後、ベランダで鉢植えの手入れや家の掃除をします。基本的にフローリング部分はロボット掃除機任せなので、トイレ掃除がメインとなります。クエン酸の粉末をたっぷり振りかけてゴシゴシこすり、しばらく放置して今度は洗剤をかけてこすります。
朝のひと仕事が終わって、今週も高良山に行くことにしました。
11月23日、これまで歩いたことがなかった2コースをつなげて16km歩いたのですが、地図を眺めていると、他にも歩いた記憶がさだかではない道があります。なにか発見があるかもしれません。次は元旦の高良大社参拝だと思っていましたが、天気が良いときに、他のコースも歩いてみたくなりました。
今回、最初の計画は「竹の子」バス停で下車し、そこから「温石湯(温石温泉)」に向かい、耳納スカイラインからつつじ公園、尾根コース、高良大社、吉見嶽コースと抜けて、最後に山川招魂社を訪問し、御井町バス停からバスで西鉄久留米駅まで戻るというものでした。
ところが、バスセンター構内のうどん屋で「いま満席なんです」と昼食を断られ、店をでたら目の前に御井町経由の信愛学院行が停車しています。これも何かの思し召しだろうと飛び乗り、計画と逆回りで登山をすることにしました。
「御井町」バス停を下車したのが12時半ごろでした。


まず、良山中学校の裏手にある山川招魂社を訪問しました。良山中学校から久留米筑水高校(農業高校)の農場に抜ける道は、学生の頃、ホームセンターに行くときなどよく自転車で利用していました。そのころから招魂社があるのは気づいていましたし、たしか祭礼のときにアパートの大家さんになにかを届けに入った記憶があります。
爆弾三勇士(ばくだんさんゆうし)とは、独立工兵第18大隊(久留米)の江下武二(えした たけじ)、北川丞(きたがわ すすむ)、作江伊之助(さくえ いのすけ)の3名の一等兵である。1932年に第一次上海事変で敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いた英雄とされる。
ここには爆弾三勇士の碑があります。大正生まれの祖父母が生活困窮者の軟弱ぶりを非難するとき、すぐに模範として爆弾三勇士の話が出てきました。懐かしいですね……。
良山中学校から九州自動車道をくぐって、すぐ右折します。


ここが吉見嶽コースの入り口です。かなりの急坂を登ります。まさに「尾根までよじ登る」感じです。
どうしてこんなアホみたいな坂になっているのかというと、九州自動車道建設の際、道があった場所を削って付け替えているからです。


よじ登ると奉納された石仏と祠があり、登山の安全を願って手をあわせます。
わかりにくい場所は、木々や枝にロープをむすんで登山路が示されているため、安心して登ることができます。


吉見嶽コースを登って行くと、北谷コースと合流します。


過去に何度も通った、王子池側と北谷・吉見嶽コースの分岐点ですが、国土地理院の地図では、その間にもうひとつ経路があることになっています(赤で強調したもの)。以前から謎だったのですが、今回の捜索でも、それらしき道は発見することができませんでした。


コンクリート造りの階段になると、高良大社は間近です。高良山茶屋の横をあがると、三之鳥居、高良会館、スロープカーが見えます。
学生の頃、夏場にここで「ところてん」をいただいたことが何度もあります。足腰の鍛錬に月2,3度は高良山にあがっていた頃です。ほかのメニューもあるのですが、ところてんを食って身体を冷やし、自販機で冷たい飲み物を買って汗が引いたら下山していたため、ここで軽食をとったことがありませんでした。
今回、はじめて「肉うどん」と「お稲荷さん」をいただきました。
うどんの「すめ(=スープ)」まですべていただき、店先の自販機で飲み物を買ってふと思ったのですが、まだ生活困窮者が学生の頃は「御茶屋」だった気がします。望郷亭なんてしゃれた名前はなかったと思うのですが……。たしかに久留米市街を一望できるので「望郷」ではあるのですが。
高良大社を参拝します。


参拝後、境内への進入路脇から「尾根コース」に入ります。高低差があるだけでなく、ごつごつとした岩の露出も多く、高良山中でいちばん山登り気分になれる道です。


尾根コースのピークのひとつ、住厭城(すみあきじょう)跡に到着しました。じつはこの日、最も登山客とすれ違ったのがこの尾根コースで、登山愛好家は、このくらいでないと山登りの気分になれないのだろう、と考えてしまいました。
久留米成田山の観音様の先に広がるのは、有明海であり、かすんで見えるのは雲仙です。


ちょっとした岩場を過ぎて、耳納スカイライン(車道)に合流します。


つつじ公園の駐車場、トイレや売店があるエリアに到着しました。さらに車道を歩いて行くと、23日に高良山山頂目指したときに通った道と出くわします。23日の経路は黄色の矢印でしたが、今回は、黄緑の矢印のほうへ歩きます。


今回のもうひとつの目的地は「温石湯(温石温泉)」です。生活困窮者がこの久留米で学生時代を過ごしていた頃には、すでに廃業していたはずなのに、まだ国土地理院の地図から削除されていません。もしかして営業しているのでしょうか?


高良山林道を下ります。


冷泉の泉質は無色透明で、塩類質で、多量のラジュームを含んでいたという。まさしく冷泉は霊泉であったわけで、天災によって湧き出し口が塞がれたのなら、復元すればすむことじゃないかと思うのだが・・・。
「ちゃんとした地図ならどれにでも『温石湯温泉』と記してありますよ」と、説明してくれるご婦人に尋ねた。「市役所が撤去するのをさぼっているんですよ。ほら、そこの案内板。20年前とまったく変わらないんですから…」
「土地もない、自然も少ない街に住む僕にとって、水はあるし沐浴もし放題、羨ましいかぎりです」と問いかけると、「とんでもなかですよ。風呂に使う水も不自由なくらいにここには水はありません。小川の水は濁っていて、とても飲めまっせんし」だって。
『野十郎の愛した 温石湯。。。』喜一郎さんの日記 [食べログ]
林道工事で源泉どころか水が出なくなり廃業に追い込まれたという話は聞いたことがありましたが、こんなところだったのですね……。
ラジウム温泉は貴重ですし、うまく復活すれば面白くなるのでしょうが……。
温石湯方面と後谷登山口の合流点に辿りついたときには15時を過ぎていました。
だいぶ気温も肌寒くなってきており、まだ明るいうちに山川招魂社にたどり着けるよう、逆に回るよう思し召しがあったのだとあらためて感じました。
「竹の子」バス停に到着です。15時43分発の西鉄久留米駅行に乗り、西鉄久留米駅から電車で西鉄甘木駅まで戻りました。
これであと歩いたことがないのは「古宝殿コース」だけになりました。いずれ時間がとれるときに、これも挑戦したいと思います。