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福岡県神社誌によれば、嘉祥元年(848年)5月に宇佐神宮を勧請したとあります。
あくまでも推測ですが、おそらくそれ以前は、玉垂宮だったものと思えるのです。
例えば、境内の住吉社が上筒男(安曇磯良)のみを御祭神としていることで、残る崇神天皇と玉垂命が隠されています。これはうがった見方をすれば、本殿にすでに祀られている(祀られていた)から、重複を排除したともとれるのです。
扉に、御神紋が彫られています。
宇佐神宮の勧請をもって創始であるなら、宇佐神宮同様、神功皇后に五七桐紋を充てるはずです。しかし、ここではちゃんと五三桐紋が彫られています。考えるまでもなく、玉垂命(筑紫君)のおひざ元で嫁と旦那の紋章を取り違えるなんてことはありえませんから、神功皇后は何者か、地元のみなさんはしっかりと理解していたということになります。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻227頁
[社名(御祭神)]八幡神社(応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、姫神)
[社格]村社
[住所]浮羽郡柴刈村大字恵利字金丸
[境内社(御祭神)]住吉社(上筒男命)、春日社(児屋根命)、西宮社(蛭子命)、天満神社(菅原道真)、素戔嗚神社(素戔嗚命)
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(2019.12.28訪問)