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福岡県神社誌では、天延元年(973年)の勧請とされています。
菅公が903年に亡くなり、その後、太宰府天満宮(安楽寺)や北野天満宮といった有名どころが建立されました。比較的早い段階での勧請とみることができます。
久留米市北野町中 北野天満宮(上宮・下宮) - 美風庵だより
久留米市北野町の北野天満宮の創建は、1054年とされています。ただ、それは北野天満宮として正式に上書きされた時期を示すものであり、それ以前の、おそらくは玉垂宮であった時代は含まれていないと考えています。あくまでも仮説ですが、菅公の聖蹟が残る地として北野の名が伝わり、京都の北野天満宮となったと考えています。
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天暦元年(947年)に菅公(菅原道真/天満大自在天神)廟をこの地に移し、朝日寺の最鎮らが北野天満宮を建立して朝日寺を北野天満宮の神宮寺とし、応和元年(961年)には筑紫観世音寺より菅公自作の十一面観音を招来して新たに本尊とした。
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北野天満宮の元神宮寺 東向観音寺には、菅公自作の十一面観音があったとされています。京都の北野天満宮の御神紋が梅鉢紋と三階松の組み合わせなのを考えると、やはり北野の伝承もいっしょに京都に持ち込まれたのではないか、という気がするのです。
社殿以外に目立ったお宮がないのは、祭神の入れ替わりがなかったせいでしょう。ただ、とくに目をひくのはエビスさま(事代主)が多いことで、赤貧が数えただけでも3体あります。もともとエビス信仰があった土地なのでしょうか?
(2019.09.07訪問)