美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

飯塚市中 撃鼓神社


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赤貧(せきひん)です。
所用で飯塚に出たので、以前から気になっていた撃鼓神社に顔を出してみました。

「鼓を打つ」という名前や由来や御祭神の見当もつかないまま、福岡県神社誌の記載だけを予備知識にして、現地へ向かいます。

じつはこの神社、赤貧が高校で数学を習った先生が神職をされています。いまはその息子さんが取り仕切っておられるようです。ちなみに赤貧が以前の仕事場で世話になった先輩の祖父の実家でもあります。ぱっと見て神職宅がわからず、以前の職場の先輩に電話を入れたのですが、つながりません。ご挨拶がてらこまかい聞き取りが出来ればと思ったのですが、諦めました。

 

御祭神は、天太玉命天児屋根命、天細女命とされています。神様はひとりでいくつも名前を持っていることが多いのですが、この日記でよく使っている表記になおすと、
天太玉命豊玉彦=ヤタガラス(博多櫛田宮の大幡主の子)
天児屋根命=天忍穂耳:アメノオシホミミ=草部吉見(=英彦山
天細女命:アメノウズメ=豊受姫(神宮外宮と伏見稲荷
となります。

この3人に共通するのは、岩戸隠れ神話で、天照大神を引っ張り出そうと歌舞とセクシーダンスを頑張ったと伝えられていることです。撃鼓神社という名称も、おそらくはそこから来ている部分もあるのでしょう。
「芸道の神」と参道にのぼり旗が立てられ、三韓征伐の際、神功皇后軍に笛と太鼓を指南した神が居るとされているのも、岩戸隠れ神話からの影響とみることができます。

ただ、神社のつくりというか、雰囲気としてはそんなものではありません。背後に「白旗山」という山がひかえていることも、重要です。
御神楽というとなにか典雅な歌舞のたぐいというイメージがありますが、当時としては軍楽の要素も兼ね備えています。

過去に宗像市鐘崎の織幡宮を日記で取り上げたことがあります。
色違いの旗指物を準備させ、武内宿禰(=玉垂命=筑紫君)が、それを目印として合図をおくり、軍を指揮して戦ったとされる場所です。旗が目なら、太鼓や笛は耳。音を合図にして軍を率いるためのものであり、休憩時に歌舞で盛り上がるためのものであり、必勝祈願に御神楽をあげて士気を高めるものでもありました。

旗・太鼓・笛は、それを使える側(命令できる側)が居たことを示しています。
撃鼓神社のあった地域(幸袋)は、むかし王谷郷と呼ばれていました。
神功皇后軍が三韓征伐の行きも帰りも立ち寄っていることから、素通りできない相当な実力者が住んでいたのでしょう。太鼓や笛の指南をする神とは、軍事戦略をアドバイスした実力者である可能性もあります。となれば、帰りにもお礼に立ち寄るのは、当然といえます。

または、相当な軍事拠点であったかもしれません。

もともと現在の神社の位置は「下宮」と呼ばれており、山上に「上宮」があります。
暑さで途中で登るのを断念しましたが、むかしは偵察衛星なんてありませんから、遠くが見える高い場所に陣取る必要がありました。

いずれの可能性をとるにしても、神功皇后の時代にはすでに実力者が居るか、相当な拠点だったわけで、筑豊でも有数の古社である可能性があります。神功皇后の足跡に出てくる神社(伝承地)は、筑豊に多々あります。最初、福岡県神社誌を読んだ時点では、伝承地のひとつくらいと軽く考えていたのですが、どうやら、神功皇后の活躍した時代よりも古くから存在しないと帳尻があいません。

福岡県神社誌にあるとおり、神武東征にかんする伝承もあるとのことで、おそらくそのあたりから起源は考えてよい神社のようです。

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赤貧が気になったのは、社殿脇にある「乳の池」の存在です。鳥居に貴船神社とあるので、ミズハノメが祀られていると考えてよいでしょう。水神様であり、龍神様です。ミズハノメの夫が本殿に祀られている豊玉彦ですし、そのミズハノメの父親は大山祗です。大山祗を祀る神社は全国的に存在しますが、とくに冷水峠から旧嘉穂郡筑穂町、穂波町、桂川町嘉穂町の千手村のあたりに密度が高く存在します。赤貧が神社めぐりをして感じた体感であり、数値化したデータではないのですが、このあたりはもともと大山祗の支配下であったと感じています。

大山祗の子が、大己貴であり、のちに大幡主の入り婿となって「大国主」となります。
大山祗はのちに四国へ移動し、日本総鎮守大山祗神社となり、大国主は出雲へ移動し出雲大社となるのは、ご承知のとおり。

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こういうときは境内の摂社・末社をくまなく眺めてみるにかぎります。貴船神社須佐神社の祠が複数存在するのは、おそらく上宮を合祀したときに同じ境内に移転させてきたのでしょう。須佐神社祇園さまと呼ぶほうが一般的ですが、御祭神のスサノオは、本殿に祀られている豊受姫(アメノウズメ)の父親であり、別名牛頭天王とも祇園天神とも言われる神様です。

境内には天満宮がありますが、安楽寺(現在の太宰府天満宮)の勢力拡大にともない、筑豊の各地を神領として支配するようになりました。これが天満宮や老松宮がやたらとこの近くに多い理由のひとつですが、後世、おそらくその流れで撃鼓神社にも天満宮が置かれたのでしょう。

福岡県神社誌によれば、山の神社として大山祗が祀られている祠があるはずなのですが、どれがそれかはわかりません。ほかも痛んでおり、よく文字が判別できないものが多いのが残念です。

若宮社と稲荷社の大きめの祠があり、八幡宮や玉垂宮だと若宮は仁徳天皇と考えるとだいたい正解です。しかし、この場合の若宮は誰でしょう?

福岡県神社誌では若宮社ではなく今宮社という記載があり、こちらもスサノオを祀るとされています。けれども、神様の中でも古株といってよいスサノオを「若」と呼ぶには、その親である伊弉諾イザナギ伊弉冉イザナミくらいしか考えられず、これはこれでとんでもない神社ということになるのです。
 
先日、飯塚市内野(旧筑穂町内野)の老松宮で、老松宮のまえは玉垂命を祀る宮地嶽神社であり、その前は大山祗神社だった可能性に気づき、とんでもない古社を発見したとおどろきました。
今回の撃鼓神社は、それに比肩するすごい神社と言えます。

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(2019.07.23訪問)