美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

高良御廟塚

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すでに古代史マニアとなってしまっている赤貧です。
6日、久留米に出ました。用事を終えたあと、以前から気になっていた御廟塚を探しに行くことにしました。
googleマップで位置関係は把握しているはずなのですが、土地勘がまったくないためわかりません。大善寺駅をすぎて県道から里道にはいってみたものの、どこまでも麦畑です。
……こうなったら、歩くしかありません。たまたま畑仕事をしている老齢のかたを見つけたので、事情を言うと車を駐車してよいとのこと。道順も教えてもらいました。

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6分ほど歩いたところで肥前鳥居に遭遇します。高良廟の扁額がかかっています。

高良大社からつつじ公園に向けて登って行った先に「高良廟」、現在は奥宮と呼ばれる場所があります。こちらも玉垂命の墓所として言い伝えられているところです。同一人物の墓所というより、おそらくは同じ一族の者の墓なのでしょう。

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塚崎貝塚とも呼ばれています。牡蠣殻やアコヤガイ、トリガイ、アサリとおぼしき(違うかも?)の殻がいっぱい散乱しています。貝殻の捨て場が貴賓の墓所?さすがにそれは違うだろ?と思いもしますが、こんなどこまでもひろがる田園風景のど真ん中に貝塚があるということを思い直すと驚くほかありません。海岸線がここまで来ていたということです。

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高良玉垂命が消された九州王朝の王だったと主張するひとたちには聖地なのかもしれません。しかし、どうも本当に偉大な王の墓所を貝殻の捨て場にするか?というのが解せない。ともあれ、地域に玉垂命の伝承がのこり、こういう形でも歴史の一部として残っていることには、感謝するよりほかはありません。

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少し歩くと、西鉄大川線の線路跡にたどり着きます。この線路跡と明治時代に製造された静態保存のSLについては、以前、この日記でも触れたことがあります。

今回は、車を停めさせてもらった地元のかたから教わった「弓頭神社」に向かいます。

goo.gl景行天皇の皇子 国乳別皇子が「古式にのっとり、弓矢楯矛をいただいて下向し、高三瀦の地に在所を定めて、久しく筑紫地方を治められた」「神功皇后韓攻撃の時、弓大将だったために、弓頭大明神と称えられた」とされた神社です。

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立派な神社もさることながら、横にある境内社熊野速玉神社というのが、意味深い場所です。国乳別皇子は、小碓皇子(日本武尊=倭建命)のすぐ下の弟とされています。とすると、玉垂命との関係はどうなるのでしょうか。

赤貧は高良玉垂命武内宿禰日本武尊=倭建命(日本をつくった男)という仮説を立てていますので、あまりどうということはないのですが……。

このまま歩いて行ってもよかったのですが、車をとりに戻らないとエライことになります。戻ると老齢のかたはまだ作業をされておられました。

高良廟と弓頭神社の話をすると、早津崎交差点のさきに「高良宮」があると教えていただきました。どうもその近辺が、嫁に来た実家のようです。バス停で3つくらいの距離……。年齢をききそびれましたが、赤貧の実家あたりでも戦前は徒歩圏内で嫁のやりとりをしていた話を思い出しました。いまのように車があるわけでも鉄道やバスが発達しているわけでもなく、歩ける距離が生活圏ですから、当然と言えば当然なのですが。

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教えられた神社に行くと道が狭く、駐車できる場所がありません。

たまたま立ち話をしていた女性二人に駐車できる場所を教えてもらいましたが、そこもスナックの入口の真ん前で、文句を言われるのでは?と気になってしょうがありません。

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高良宮(玉垂宮・高良神社)らしく楼門があって、そのなかに伴神が居るのはお約束です。お二方の名前はさすがにわかりません。

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全体的に補修が必要な感じで、最低限の手入れしかしていないように見えます。とにかくあちこちに危険防止のウマ(ポール)があり、相当痛んでいる様子でした。googleで調べても田川城というお城の跡であることと、7月に奉納の獅子舞行事があるくらいしかわかりませんでした。

ひさしぶりの玉垂宮探検でしたが、今回はどうも納得いきませんでした。次回は、瀬高方面に足を伸ばしてみたいと思います。

瀬高に行く用事があればですが。