松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年8月24日(土)の日録。

それはそれで雑談のメモ(2)

きちんと筋道たててまとめる気力がないため、8月15日に知人と行った雑談の記憶にある範囲を記します。裏をとる作業を省いているため内容は保証しません。

どこが「棄民」なのか?(後)

「それが正しいかどうかなんですよ。問題は。
いま、所有者不明土地って問題になってますね。相続登記やってなくて権利者がよくわかんなくなってる土地ね。あの問題も含めて、もう発想を変える必要があるかもしれない。いままで先祖代々の土地を棄てるというのは、なかなかなかったんです。お侍さん階級は殿様の国替えがあるからしょっちゅう移住はあっただろうけど、基本農耕民族で土地が収益源だったから、土地から離れるというのは、考えにくかった。ところがもういま、仕事を求めて国内・国外あちこち転居も珍しくない。都会に出て行ったら、戻ってきません。いまが、日本の歴史上最も土地から切り離されて生きているひとがいっぱい居る時代なんです」

「言いたいことはわかりますよ。もう土地の私的所有を絶対視しないということですよね。本人が所有権登記して固定資産税を払うか、土地は市区町村のものにして、固定資産税相当の借地料を納めるか、どちらか選ばせればいいんです。個人のものと登記してそのひとが亡くなれば、3年とか期限を切って、相続をそれまでに片づけさせる。締め切りまでに片付かないなら市区町村に所有権移転して、実際に住んでいるひとから借地料を盗る。出ていくなら借地契約を解約すればいいし、買い戻す気があるなら売買で改めて所有権移転登記すりゃいい。
たとえば田舎で百姓したいというひとが居れば、就農を条件に相続人が決まらず市区町村に所有権移転してきた土地を格安で売るとかね。場合によっては、百姓しながら20年住んだらあなたのものです、と停止条件付で無償譲渡するとかやれば、いい宣伝にもなるでしょう」

「そう。個人の私的所有権の見直しというより、相続の見直しなんですよ。単純承認で相続はさせないよ、と。ちゃんと手続きやれよ、と。これをちゃんとやらないまま、固定資産税だけ払っていればとりあえず住める状態にしちゃったから、悪いんです」

「相続を法律どおりやるとみんなに分配しなきゃならなくなります。わざと田舎の百姓が所有者の分散を嫌って、固定資産税だけ払い続けて相続棚上げにして実効支配してたりするんです。けっこう居ます。こういうひとたちに相続登記の義務化とかいくら言ったって聞きはしません。国はこれから思ったように進まなくて頭を抱え込むと思いますね」

「これからさらに人口減少は進みます。一時的には円高に振れても労働力不足でダラダラ円安が止まらない時代になります。国内から調達できる労働力は先細り、じゃあ海外からったって、通貨安で買い叩かれる国に来るわけがない。IT化とか言ってるけど、企業は客を選べるからいいんです。公共は窓口にどうしても人間を残さざるを得ない。合理化は進みません。田舎のジジババにパソコンとかスマホで手続完結なんて無理ですよ。日ごろから使いこなしてるビジネスマンが、家に帰ってきて夜中にオンライン手続きとかなら、わかりますよ。定年退職して田舎に戻ってきた元ビジネスマンが役所で待たされるのが嫌で家でポチポチ操作するのもわかります。でも、どうやってもパソコンとか無縁のど田舎ジジババが召されるまであと20年はかかります。そして公共はぜったいに彼らを切り棄てられない」

「AIで置き換えられる労働、いわゆるホワイトカラーは絶滅に向かうと思います。でもどうやっても肉体労働込みの仕事、例えば百姓は残ります。円安で海外から輸入品の値段があがれば、自然と国産品に目が向きます。お米だってどんどん値上がりしてますね」

「いまの若いひとに言いたいのは、あと10年こんな状況がつづいたら、就農って逆にチャンスなんです。NHKとか馬鹿だから高齢化で農家が減っています、お米や食い物の供給がピンチです、とかやってるでしょ。馬鹿を言えと。そうじゃないよと。
もとは土地の流動性をしばってきたのは、新規参入を拒んできたムラ社会の都合でしょ?と。新規就農者がはいってくる。場合によっては企業が農業参入する。どんどん整理再編されていく。合理化が進む。いいことじゃないですか。
どちらにしても、田舎で土地をもって百姓するのは、食い物を確保できる理想的な生活スタイルと必ず認識される時代が来ます」

「それまでに土地の流動性をどう確保するか、制度をしっかり考えておかないといけないんです。いまみたいに相続が片付かない売ろうに売れない土地だらけじゃ、お話になりません。
そして、いま問題になっているように高齢化がすすんで何年か先には限界集落化がみえているような場所でも、高コストの災害復旧工事を打たないといけない現状を変えることができます。相続しない・出来ない・決まらない土地はすべて市区町村のものなんだから。違う土地はいくらでも出ます。あっせんして、住まわせりゃいい。
そもそもね。私の祖先は江戸時代になるまでどこに居たかというと、いま実家があるところから車で2時間は離れてるんです。江戸幕府が成立して、英彦山が所領を取り上げられるんですね。英彦山から食わせてもらえなくなって放り出されて、移住してきたんです。そして、代官所の一代抱え(現地雇用職員)になって、それからほかの藩に出仕してと、近場でうろうろしまくってます」

「うちはさかのぼると丹波なんですよ。福知山らしい。殿様の国替えでここに来たんだって」

「じつはみんな想像以上に動き回ってるんですよね。完全土着ってなかなかないです。だって皇室ですら京都から東京に移住してるじゃないですか」

「たしかに国から見れば、私的所有を本人が求めてきた土地以外はいったん公有地にして賃貸するスキームを考えるのは面倒でしょうね。ただ、そのくらいやらないと人口減少下でぜったいこういう問題は片付きません」

「南海トラフだっていずれ来るわけですし」

 

24日の記録。

今日は昼弁当をつくる必要はないので、ピーマン入り焼きビーフンとお茶を準備します。起きたら日記の下書きを読み、続きをつくります。

今日は7時から9時にかけて南西の方位に「甲癸:樹根露水」があります。樹木が植わった大地に雨が染みこむイメージです。宝くじで一発勝負は無理でしょうが、悪くありません。着実に開運に向かうとされます。問題は天気予報のほうで、さっさ登って下山しないと夕立にやられかねません。

 

高良山に登る(039)

「いつかお百度参り達成を目指そう 高良山登山第39回」です。

チーズ牛めし|メニュー|松屋

電車で西鉄久留米駅まで出て、荷物(ノートパソコン)を置きに行き、登山リュックだけ背負って、松屋でご飯をいただきます。朝、焼きビーフンを食ったはずですが、せっかく前を通るのですから店に入らなければいけません。とはいえ、期間限定メニューはあまりに肉がメインで胃が悪くなりそうだったので、30円引きクーポンがあったチーズ牛めしにします。これでも充分胃にきました……。

私は松屋民なので、松屋の前を素通りできません。

今日は西から登って北に下山するコースを選択しました。

空を見上げると雲だらけです。気温そのものはここ数回のハイキングとそこまで違いはないはずなのですが、湿気がただごとではありません。じっとしているだけで汗が出ます。

まずは高良下宮社で、今日の安全と、生活が苦しいのでもっと単価の高い仕事をくれ、とりあえず来月は交通費がかかるのでどういうテでもいいからカネを恵んでくれ、しかーし、間違っても機器トラブルで現場待機、委託料割り増し(残業相当額後日精算)などという酷使はせんでくれキツいから、とお願いします。

しれっと九州年号の白鳳が入っていたり、高良玉垂命の親が孝元天皇だったりとすさまじい案内板です。

九州王朝説の一部では、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)→オオヤマトネコヒコフトニ(孝霊天皇)→オオヤマトネコヒコクニクル(孝元天皇)→ワカヤマトネコヒコ(開化天皇=高良玉垂命)が、記紀に取り込まれた九州王朝の天皇で、残りは現王朝(畿内王朝)の関係者とみます。

なお、大正3年に「村社」に指定されるまでは、このお宮は高良大社の摂社でした。現在は高良大社からみて別法人格の「兼務社」です。

放生池にたどり着きました。風がないのでムンムンして軽く頭痛がします。

最近、駅前のイオン系列のお店でもトップ糊工業所さんの焼麩を見かけるようになりました。私が子供のころはトップ糊というフエキ糊みたいな白い糊をつくっていたはずなのですが、気づいたらいつの間にか焼き麩の会社になっていました。

てっきりどこかの誰かが棄てたアカミミガメばかりだと思っていたのですが、違うカメも居るようです。上手に焼き麩に食いつき、ほかの鯉から奪われる前に水中に一気に引きずり込みます。

橋をはさんで池が2つあり、北側の池に住むでかい鯉の集団は、焼き麩を体当たりで奪い合い格闘しまくりです。どう見ても焼麩に運よく食いついた鯉を集団リンチしています。

今日は北谷コースで吉見岳の展望台→琴平神社から高良大社(高良玉垂宮)に向かいます。

「サワガニを獲るな」の看板は、学生のころにはなかったと思います。雨が降った翌日はうっかりすると足でバンバン踏みつぶすくらい居て、ちりとりですくって逃げないよう(フタができる)タッパー容器に入れて持ち帰り、井戸水で一晩ほど置いてから、生きたまま天ぷら鍋で素揚げして塩振って食っていました。

たしかにここ最近、まったく見かけません……。

地理院地図で点線の歩道となっている道は、戦前の地図にも記載があります。通ろうと思えば歩くことはでき、数年前によく知らず歩いてみたことがあります。敷地内は段々畑のようになっており、往年は僧坊が建ち並んでいたのだろうと想像したものです。

現在はすべて私有地になっており、境界線の外から眺めることしかできません。ただ地図にある以上、公図を確認するとこの点線の部分だけ、里道なのかもしれませんが……。

吉見岳の展望所にやってきました。

東屋の日陰から雲仙普賢岳がみえるかどうかチャレンジしますが、今日は全くわかりません。

振り返ると高良会館(社務所)がみえます。

じつはこの時点でタオルの汗が絞れるほど、汗びっちゃりでした。湿度が高すぎ汗がまったく乾かないため、ここ最近で今日がいちばんしんどく感じます。

江戸時代に勧請された琴平神社(金毘羅大権現)に手を合わせます。

高良大社(高良玉垂宮)まで登る途中、屋根だけ見える祠があります。以前から気になっていたのですが、下山客とここですれ違うことが多く、なかに入ることが出来ませんでした。敷地に入ってのぞきこむと、首がとれた仏像が祀られています。

ここは弥勒寺という寺があった場所とのことでした。

高良山茶屋 望郷亭 - 御井/うどん | 食べログ

前回、前々回はいちごのかき氷でしたが、今回は宇治を頼みます。ハイキング中や帰宅後にふくらはぎがつらないよう水分を摂ると、すれ違う客がびっくりするほど滝汗をかくし、かといって水分補給を制限すると、セミの鳴き声がどれを聞いても「ホワホワホワン」になるし……(熱中症で脳が煮えてます)。熱の放出が上手くいかないときのクールダウンに、かき氷は一役買ってくれます。

次回は「イチゴと宇治以外になにがあります?」と訊いてみることにします。

高良大社と境内社をお参りします。

今日は複数のお子さんが祈願をうけておられました。親御さんっぽい姿はありませんでしたが、拝殿内のぜんぶが外から見えるわけではありませんし、端っこにおられたのかもしれません。

奥宮コースを歩いて、奥宮に向かいます。

来れる日の吉方位となる時間帯を選んでハイキングをするスタイルのため、月初日の寅の日にここに来た記憶はありません。ここまで堂々と過去の神仏習合を主張できるというのもすごい話ではありますが、都からの遠さが、有利に働いています。

つつじ公園の売店兼休憩所は、鍛錬のためジョギングしている部活生などでテーブルが埋まっていました。いつもの東屋にしけこみ、売店の自販機で買ったゼロコーラといつものココアビスケットをいただきます。

帰りは王子池コースを下り、高良御子神社と坂本神社に無事下山したお礼をして、追分バス停から駅まで戻りました。

GPSログは8.3kmぶんありますが、アプリで処理すると6.8kmとのこと。今日は誤差がでかい気がしますね……。