目玉おやじが宇宙デビュー
目玉おやじみたいな星があるなんて「世界は広いですね」と書こうとして、宇宙の話なのに気づきました。
「宇宙は広いですね」。当然か(^^♪
高良山に登る(035)
「いつかお百度参り達成を目指そう 高良山登山第35回」です。
朝5~7時台は「壬丁:干合星奇」です。壬は勝負、丁は知能。勝負と知能が手を組むのですからこれが吉運でないわけがありません。ただ、問題は傷門で、挫折・怪我・損壊を意味します。人間関係や自らの心身、物が傷つく可能性があるわけです。普通ならハイキングにこれをつかうことはありませんが、まぁ、ほかの要素が良いのでとんでもないことにはならないでしょう(たぶん)。
というわけで、朝からしめじ・ミックスベジタブル・ソーセージ入りの焼きビーフンをつくって、出かける準備をします。
今日は追分バス停側、つまり北から登ることにします。
ここ最近は、西鉄久留米駅1階のバス乗り場に行って、来たものに乗って現地に向かう、といった感じです。
高良山は北・西・南の3方向にバス路線が走っているので自由に登山/下山経路を選べます。車で来ると駐車した位置に必ず戻ってこないといけませんが、路線バス前提なら好きに歩いてどこかで拾ってもらい駅に戻れるわけです。
今回は、北から入って西に抜ける経路を選択しました。
いつもは大正時代に奉納された鳥居のほうに向かうのですが、ひさしぶりに東林寺横の十三仏に、今日の安全をお願いします。
この東林寺はもともと違う場所にありました。明治時代の廃仏毀釈でいちど廃絶され、高良山の麓のこの地に再興されました。もとの東林寺があった場所は、現在天満宮となっています。
十三仏に手を合わせたら、次は高良御子神社と坂本神社にお参りします。
王子池に出ました。
じつはこの時点でどの経路で登るか、ノープランでした。さいごに放生池で鯉に給餌をするのは決めていましたが、それまでの経路はなにも考えていません。とにかく暑くならないうちにさくっと巡回できるコースを「ここで」考えます。8月10日土曜日のめざせお百度参り第34回で足がつり痛い目に遭いましたが、今日もすでに両足のふくらはぎが痛くて仕方がありません。
背中のリュックからペットボトルに詰めて持参した水をがぶ飲みすればおさまります。しかし、水分補給すれば数分もたたず滝汗が出てびっちゃりになり、そのあとがいけません。すれ違うほかの登山者(参拝者)から(なんでこいつ汗びっちゃりなん?)と侮蔑のこもった目で見られてしまいます。どこかの日陰で休んでいれば足の痛みはおさまりますが、今度は帰りが遅くなって暑さで死んでしまいます。
ああ、さすが傷門だ……。けっして馬鹿にはできんな……。
いつもならゆるい坂を選ぶのに(こうなりゃ逆に急坂登って一気に巡回してやろう)とふと考えてしまいました。虎穴に入らざれば虎子を得ず。ちゃっちゃと終わりたければ、頑張るしかありません。
ここはもともと眼病治癒に感謝したかたが建立した妙見菩薩を祀る妙見宮でした。明治の神仏判然令で高皇産霊神を祀る高木社に衣替えしたものの、明治政府からつぶされないための工作なぞ現地民には関係なく、昭和にはいって妙見菩薩を祀る妙見神社に復しています。
ちなみに福岡県神社誌では高木社のままなので、おそらく、書類上はいまも高木社のままではないかと考えます。
妙見神社と王子池の途中から、古宝殿城跡に登る道があります。ロープをたよりに登るなかなかの急坂です。
古宝殿城跡に出ました。水分補給をしていないのにすでに滝汗です。不動明王や奉納された石仏さまに手をあわせます。
高良大社(玉垂宮)にたどり着きました。まず、高良会館(社務所)の展望所に行き、休憩することにします。
キリン×ファンケル カロリミット アップルスパークリング 350ml 缶|商品・品質情報(ソフトドリンク)|キリン
毎回ゼロコーラでは、ほかに飲み物を知らんのか?と思われるため、今日は趣向をかえてみました。
じっとしていても気温があがるばかりなので、汗が引くのを待たず、高良大社と境内社を順にお参りします。動悸はしませんが、めまいと息切れはしています(きゅーしん、きゅうしん♪)。
参道の横から、背振山や吉野ケ里方面を撮影してみました。
奥宮に向かう途中、つつじ公園に立ち寄ります。売店の休憩所は家族連れでにぎわっていたので、ゼロコーラを自販機で買って、東屋に避難しました。
休憩所で子供たちに「かわいーーー」と言われながらぺちぺち触ってもらっていたはずなのに、猫がついてきました。
「悪いけど、毛モジャは見ただけで暑い。こんな暑い日に相手でけんから戻れ」というと、言葉を理解するのか東屋の周りを2周ほどして、どこかに消えました。
タオルを絞ると汗で床がびっちゃりになります。持参したココアビスケットとゼリー、さきほど自販機で買ったゼロコーラで、休憩します。
奥宮が近づくと、急にひとが増えました。扉をあけて線香に火をつけていたら、いつのまにか4、5人がお待ちです。手短にお参りします。
奥宮コースで高良大社にいちど戻ろうかと思ったのですが、けっこうな数のひとの声が飛んでくるため、車道に戻り、吉見岳コースから放生池に下山することにします。
放生池が見えてきました(左は麓の郷社 高樹神社)。
ベンチで駅前のイオン系列のお店で買った焼き麩を、リュックから取り出します。
池をのぞきこんだだけで「こいつなんかくれるん?」と言わんばかりに近寄ってきます。
カメさん(といってもアカミミガメ)に向かって麩を投げ込むのですが、周りの鯉が体当たりしてどんどん奪っていきます。途中、このカメさんたちの泳ぎ方が変わったのに気づきます。下から近づき、首だけ出して麩に食いつき、そのまま下に潜る(水に引きずり込む)という忍者みたいな真似をはじめました。
大きい鯉がいっぱいいる場所ではなく、周囲の小さめの鯉に向かって麩を投げ込んでいたはずなのに、人間の手の動きを察知するのか、小さい鯉を蹴散らして大きい鯉がどんどん食っていきます。どの世界も強いものが勝ちます。ジャイアニズムか北斗の拳です。
御井町バス停から西鉄久留米駅まで戻ったのですが、その前に高良下宮社で、今日の安全を感謝しました。
なんだかんだで3時間半、7km歩きました。
午後から別件があるため、西鉄久留米駅近くの大龍ラーメンでチャーシューメンをいただきました。
塩分補給に塩飴をなめろとかいろいろ言われますが、汗で流れる塩分の補給は、食事にかぎります。とくにラーメンは塩化ナトリウムとグルタミン酸ナトリウム(味の素)を大量に含むため、(ほかに目をつむり)塩分補給だけみればよい料理です。
夕飯も焼きビーフン
久留米で用事をすませて駅前のイオン系列のお店で、値引きシールハンティングを実行しました。赤センマイともやしとキムチが2割引きです。
赤センマイとキムチに、水とめんつゆを加えてまず火を通します。
もやしと焼きビーフンを入れて、汁気がとんだら出来上がりです。
16世紀に韓国に伝来した唐辛子が、18世紀頃からはキムチ作りに本格的に使われるようになりました。特に、19世紀にはキムジャンキムチ(冬場のキムチ)作りに適した結球白菜の栽培が普及して、現在の典型的な韓国キムチの姿を整えるようになりました。
なんでも朝鮮発祥にしたがるK国さんですが、不思議なことにキムチについてはしょうじきだったりします。
国産第一号の結球白菜の歴史は、明治8年(1875年)の東京博覧会に端を発します。博覧会には中国(清国)から根付きの山東白菜が3株出品されました。これが日本に初めてお目見えした結球白菜です。この3株のうち2株を愛知県の植物栽培所が譲り受け、栽培を試みることになります。でも、2株の白菜から種を採って育てても最初の白菜とは似ても似つかぬ姿に…。そう、なかなか結球しないのです!
(略)
そして遂に!明治28年、徳四郎氏が栽培を初めて10年、中国から日本に渡来して20年、日本の地で初めて結球白菜が誕生したのです!
品種改良はその後も進められ、大正6年には県から正式に新品種と認められ「愛知白菜」と命名。そして、さらに純度を高めた「野崎白菜2号」へと発展して行きます。白菜が舶来野菜?! その歴史は意外に浅かった。〜野崎白菜2号~ | 花ごころメディア | 花ごころ
1592年の朝鮮出兵の際、武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵(加藤清正)が持ち込んだものである。
まぁ、白菜と唐辛子が日中から伝来したのを隠している時点でお察しくださいとは思いますが、歴史の新しさを白状している点は重要です。