松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市東区三苫7丁目 森の屋敷


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googleマップや現地案内板では「森の屋敷」となっているため、それに従います。

みたところ、どうやらお稲荷さんのようです。

森の屋敷

八世紀のころ香椎宮の廟司(神官)として武内宿弥とともに京都から下った和気重春(神功皇后の直臣中臣烏賊津臣命の家系)は香椎宮の神領である三苫郷を与えられ、三苫に住居を構え、姓を「三苫」と改め代々領主として三苫郷を領有し、香椎宮四党の一つとなった。西暦一五六四年には三苫家三十三代基宣は香椎大宮司に就任している。ここを「森の屋敷」と呼んでいるが、「三苫家」代々の屋敷跡ではないかと想像される。
なお、「森の屋敷」と呼ばれるこの敷地は、綿津見神社の飛び地境内地となっている。
また、ここに鎮座されている稲荷社は、大正のころまで近郷の漁師たちが捕れたての新鮮な魚を持って豊漁のお祈りとお礼に参詣していたとのこと。
また、物をなくしたときに、ここの稲荷社にお祈りすると、無くした物が出てくるというので、多くの人が参拝していた。

(三苫郷土史より) 

中臣烏賊津臣命とは崇神天皇(中筒男尊)のことです。どうやらここに、三苫家代々の屋敷があったのではないか、とのこと。

境内にはなにやら石があります。

七橋

筑前国風土記に「三苫に、夕尺の橋をはじめ七つの石橋があって、中でも夕尺の橋は村の前を新宮の方へ行く道のそば(三苫小学校の北側そば)に小さな石橋があるものをいい、かまど山(宝満山の中腹)の修験者が山に入る時には、必ずここに来て修法していた。これは昔からの慣わしである。」と記されている。近年は橋としては使われていなかった。この地区の区画整理事業に伴う道路工事でこの境内地に移された。

三苫郷土史より

宝満信仰は、崇神天皇(中筒男尊)の母 玉依姫への信仰ですから、神社の境内に竈門神社があるのもうなずけます。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.04訪問)