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この神社は裏から長い車道があり、直接境内に乗り入れることができます。高台にあり場所は見当がついていたものの、どこから登れるのか不思議でした。
なかなか立派な社殿があり、その先に鳥居が見えます。石段を下りていくと、先に参道がありません。これはいったい……。
福岡県神社誌では由緒不詳とありますが、安永8年(1779年)に創建された記録があるそうです。
いったん、みかけた石段を下りてみました。目の前は県道で、これがほんらいの正面なのだとわかります。
ところがこの正面の石段をあがっていくと、隣の地蔵堂に行き当たるのです。
このつくりから行くと、すくなくとも明治になるまでは、神社より地蔵堂のほうがメインだったことがわかります。この地蔵堂は、2キロほど離れた永泉寺から、疫病退散の祈願のため1853年に勧請されたものと伝えられているそうです。
福岡県神社誌:上巻368頁
[社名(御祭神)]五穀神社(豊受姫命)
[社格]村社
[住所]嘉穂郡碓井村大字飯田字浮嶋
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.09.11訪問)