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九州交響楽団 第385回定期演奏会 名匠秋山和慶と贈る フィンランドの音風景

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第385回定期演奏会 || 公益財団法人 九州交響楽団 -The Kyushu Symphony Orchestra-

九州交響楽団 第385回定期演奏会 名匠秋山和慶と贈る フィンランドの音風景
2021年3月16日(火)午後7時開演(5/22からの延期公演)
会場 
アクロス福岡シンフォニーホール
曲目
シベリウス交響詩フィンランディア
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
シベリウス交響曲第1番 ホ短調 作品39
指揮
秋山和慶
ヴァイオリン
成田達輝

【追記:3月18日、否定的と誤読される可能性があったため、文章を見直しました】

3月16日、アクロス福岡で九響の定期演奏会を聴きました。

シベリウスの「フィンランディア」「ヴァイオリン協奏曲」「交響曲第1番」と、曲目には彼の作品のなかでも有名どころがずらりと並びます。毎度ながら生活困窮のため、安い席に陣取りました。

九響演奏会に行ってきました(^^)v - 美風庵だより

過去の日記を検索すると、ヴァイオリン協奏曲のソリスト 成田さんは久留米・石橋文化センターで一度聴いています。そのときは、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番でした。さすがに7年前のことは覚えておらず、ほぼ初めて、とでもいうべき状況です。

成田さんのヴァイオリンを聴いて、むかし庄司紗矢香さんを初めて聴いたときに近い印象を受けました。内省的なところがあり、ゆったりと構えすぎるくらい構えたテンポのなか、目一杯に音が詰め込まれていきます。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲といえば、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲同様、もっと軽く聴きやすい演奏に仕上げることが多いものですが、予想を裏切られ、最初のほうは頭がついていかなかったことを、正直に告白しておきます。

ヴァイオリン協奏曲の冒頭は冬空のなか、鳥が滑空するイメージだと聞いたことがあります。録音でも実演でも、これまで聴いたものを想像して耳を澄ませていると、まったく別物なのに驚きます。作家名だけ見てエンターテイメントだと思って手に取ったところ、ページをはぐったら純文学か哲学書だったと言えばよいでしょうか。

数秒ほど混乱し、やがてヴァイオリニスト、そして伴奏をつとめる秋山さんと九響の集中力に気づき、襟を正します。読み飛ばしなしで一言一句ぜんぶ読む感覚に慣れてくると、ふだん聴き飛ばしていた音がいろいろと隠れていたことに気づきます。

あくまでも感覚的なものですが、シベリウスは(1)先達をチラ見していた若いころ、(2)名が売れ各国を旅行した時期、(3)国を代表する作曲家として処遇されはじめた時期、(4)断筆前の後期傑作群、こんな感じで作風が変遷してきたと考えています。(1)の時期の代表作が「クレルヴォ」や「交響曲第1番」、(2)の時期が「ヴァイオリン協奏曲」や「交響曲第2番」、(3)の時期が「交響曲第3番」「第5番」(4)の時期が「交響曲第6番」「第7番」「タピオラ」といった感じでしょうか。

上記に記さなかった「交響曲第4番」は初演時期は(3)なのに、(4)の先触れとなる作品であり、シベリウスを理解するうえで重要な作品ではあるものの、突然変異というか、別枠だというのが、これまでの理解でした。

この日、ヴァイオリン協奏曲を聴きながら、どうやらこんな簡単に整理できるものではないことに、いまさらながら気づきます。ヴァイオリン協奏曲のなかにも(4)の後期傑作群に通じるものが、見えてくるのです。

成田さんと秋山さんと九響は恐るべき集中力で、作曲家の内面を掴みだし、客に向かって提示していきます。客席への放射を考えると、演奏家はほぼへとへでしょう。客席の隅で聴いているだけで、その世界に引き込まれ、仕事が終わって駆け付けた身には、なかなかしんどいものがありました(笑)

【追記:最初この感想を掲載したとき「しんどい」は基本的にマイナスの意味を含むものだから言い換えるべき、と指摘いただきました。ここでは「集中に同調する疲労感」といった感じで理解いただきたいと思います】

いろんな演奏会を聴く機会がありましたが、集中力に引きずり込まれた疲労感を味わうのは、そう何度もなかった気がします。九響定期であれば、ウォルトンの「ベルシャザールの響宴」が演奏された回や、朝比奈さんと大フィルのブルックナー8番が、パッと思いつくくらいです。

休憩をはさんで演奏された「交響曲第1番」も、交響詩や劇音楽から「交響曲作家」に脱皮しようとしている若いシベリウスの姿から、後期傑作群に向かう影が見えてきます。この「第1番」と有名な「第2番」の関係は、いわばブラームスの「1番」と「2番」に近いものと漠然と考えていました。実のところそれ以上は考えたことがなかったのですが、秋山さんと九響の演奏を聴いていると、ブラームスチャイコフスキーブルックナーといった先達の世界をチラ見しつつ(下敷きにしつつ?)、そこにあるのはシベリウスの音楽であり、後期傑作群の出発点でもあることが、見えてくるのです。

そういう意味では、(マーラーの「巨人」同様)詰め込みすぎのごった煮でもあるわけで、それをひとつ筋のとおった音楽として聴かせる手腕は、さすが秋山さんとうなるしかありません。

どうしても有名な第2番に隠れてしまいがちですが、この第1番もまた、名作であることがわかります。

シベリウスは6番、7番、「タピオラ」だけでなく、4番もまた、名曲です。そしてなんといっても「クレルヴォ」があります。いつか、これらの作品も、秋山さんと九響でぜひ、取り上げて欲しいと思います。

シベリウス:水滴/ヴァイオリン、チェロ

なんといっても驚くべきは、成田さんの演奏したアンコール曲が、シベリウス9歳のときの作品だということ(11歳という説もあるそうです)。「水滴」というより「雨垂れ」といった感じなのですが、初めて聴く曲、しかもヴァイオリンとチェロのみで音は限られるはずなのに、小雨降るなか、山中を歩くかのようなイメージが自然に脳裏に浮かび、驚きました。偉大な人物は、子供のころから違うのですね……。