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福岡県神社誌では田神社とあります。御祭神は埴安姫命と菅原大神とされているため、おそらくこの天満宮のことで間違いなかろうと思います。
隣には、左近稲荷が鎮座しています。左近稲荷は、江戸後期、疱瘡、大火、飢饉と立て続けに起きたため、伏見稲荷を勧請したとの由来書きがあり、地域で大事にされてきた神様なのだろうと、わかります。
天満宮の本殿の扉は最初から開けられており、そこには男性の杓をもった御神像がひとりで鎮まられていました。この石祠の上には梅鉢紋がついており、菅公だけが祀られているようです。
この神社がある朝倉市大字千手の、小石原川をはさんで対岸に、大字下渕の老松神社があります。菅公を祭祀すべき圧力が相当つよかった地域なのでしょう。
となると、埴安姫命の存在がどこかにいってしまっています。
八岐大蛇の伝承が金山彦と大山祇の領土争いであった可能性はすでに日記で触れました。金山彦の妻が、埴安姫です。埴安命である大幡主の妹にあたります。
愛宕神社に、金山彦がカグツチとして祀られていることはすでに書きました。火伏せの神様として江戸時代に分祀されてきたのでなければ、ここ秋月には採鉱専門集団であった金山彦の一族が入植してくるだけの、なにか資源があったのでしょうか。
(2019.09.03訪問)